西郷吉義
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- さいごう よしみち
- 西郷吉義
- 陸軍軍医監正三位勲一等功四級医学博士
- 衛生部
- 東大医学
- 長野県士族
- 安政2年11月7日 - 昭和2年9月3日
経歴
安政2年11月7日 | 生 |
明治20年12月28日 | 任陸軍一等軍医[1](初任) |
明治26年2月1日 | 任陸軍二等軍医正[1] |
明治28年11月5日 | 任陸軍一等軍医正[1] |
明治30年3月24日 | 陸軍二等軍医正(階級呼称変更)[1] |
明治31年3月14日 | 兼任侍医 叙四等[2][1][3] |
明治31年10月1日 | 任陸軍一等軍医正[1]・東京衛戍病院長 |
明治34年3月9日 | 近衛師団軍医部長 |
明治36年6月25日 | 陸軍軍医学校長 |
明治37年9月12日 | 陸軍軍医監 |
明治39年5月7日 | 休職、独国留学 |
明治41年8月31日 | 専任侍医 年俸3200円下賜[4] |
明治43年12月14日 | 兼任侍医寮主事 叙高等官三等[5] |
大正1年10月29日 | 侍医頭事務取扱被仰付[6] |
大正2年12月22日 | 陞叙高等官一等 賜二級俸[7] |
大正3年7月31日 | 任宮中顧問官 叙高等官一等 賜一級俸 侍医寮御用掛被仰付[8] |
大正6年4月1日 | 後備役 |
大正10年4月1日 | 退役[9] |
昭和2年9月3日 | 薨去 |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治24年3月3日 | 叙正七位 |
明治26年4月11日 | 叙従六位 |
明治28年10月31日 | 功四級金鵄勲章 勲六等瑞宝章 |
明治29年5月15日 | 叙正六位 |
明治31年10月31日 | 叙従五位 |
明治32年11月10日 | 勲五等瑞宝章 |
明治33年5月10日 | 双光旭日章[10] |
明治36年10月30日 | 叙正五位 |
明治38年5月30日 | 勲四等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[11] |
明治41年11月10日 | 叙従四位 |
大正2年11月21日 | 叙正四位 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[12] |
大正4年12月1日 | 勲一等瑞宝章 |
大正7年11月30日 | 叙従三位 |
昭和2年9月4日 | 叙正三位(特旨)[13] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 官報第4407号 明治31年3月15日(火曜日)
- ↑ 明治36年停年名簿では「三等」
- ↑ 官報第7556号 明治41年9月1日(火曜日)
- ↑ 官報第8246号 明治43年12月15日(木曜日)
- ↑ 官報第75号 大正1年10月30日(水曜日)
- ↑ 官報第422号 大正2年12月23日(火曜日)
- ↑ 官報第601号 大正3年8月1日(土曜日)
- ↑ 官報第2607号 大正10年4月13日(水曜日)
- ↑ 官報第5054号 明治33年5月11日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第208号 昭和2年9月6日(火曜日)