丸井政亞
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- まるい せいあ
- 丸井政亞
- 陸軍少将正四位勲二等功三級
- 歩兵
- 草創期
- 和歌山県士族
- 嘉永4年1月23日 - 昭和9年1月19日
経歴
嘉永4年1月23日 | 生 |
明治5年1月29日 | 任陸軍中尉[1](初任) |
明治9年7月27日 | 任陸軍大尉[1] |
明治18年7月8日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治28年1月20日 | 任陸軍歩兵中佐[1]・金州半島兵站司令官 |
第1師団司令部附被仰付 | |
明治29年9月25日 | 補歩兵第5聯隊長[2][3] |
明治30年9月22日 | 補台湾守備歩兵第3聯隊長[4][5] |
明治30年10月11日 | 任陸軍歩兵大佐[1] |
明治31年10月1日 | 補歩兵第30聯隊長[6] |
明治33年10月31日 | 補歩兵第27聯隊長[7][8] |
明治34年11月3日 | 補歩兵第1聯隊長[9] |
明治36年1月13日 | 任陸軍少将[1] 補歩兵第20旅団長[10] |
明治38年2月5日 | 後備歩兵第16旅団長 |
明治39年7月6日 | 補歩兵第25旅団長[11] |
明治42年1月23日 | 後備被仰付[12][13][14] |
大正3年4月1日 | 退役[15] |
昭和9年1月19日 | 卒去[16] |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[17] |
明治25年4月6日 | 叙正六位[18] |
明治28年10月31日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲三等瑞宝章[19] |
明治30年7月10日 | 叙従五位[20] |
明治33年3月31日 | 賜金300円 (台湾守備の戦功)[21] |
明治35年10月20日 | 叙正五位[22] |
明治37年11月29日 | 勲二等瑞宝章[23] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 授旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[24] |
明治39年11月2日 | 大韓帝国勲二等太極章佩用允許[25] |
明治41年12月1日 | 賜金330円 (明治四十年四十一年韓国暴徒鎮圧事件の功)[26] |
明治42年3月10日 | 叙正四位(特旨)[27] |
明治42年4月6日 | 大韓帝国勲一等八卦章佩用允許[28] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[29] |
昭和9年1月16日 | 卒去 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 官報第3976号 明治29年9月28日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に9月29日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第4271号 明治30年9月25日(土曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に9月7日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第4579号 明治31年10月3日(月曜日)
- ↑ 官報第5202号 明治33年11月1日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に10月30日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第5502号 明治34年11月4日(月曜日)
- ↑ 官報第5857号 明治36年1月14日(水曜日)
- ↑ 官報第6906号 明治39年7月7日(土曜日)
- ↑ 官報第7672号 明治42年1月25日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に12月3日とあるのは1月23日の誤り。
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治42年1月28日休職とあるのは誤り。
- ↑ 官報第524号 大正3年4月30日(木曜日)
- ↑ 官報第2418号 昭和10年1月26日(土曜日)
- ↑ 官報第1938号 明治22年12月12日(木曜日)
- ↑ 官報第2629号 明治25年4月7日(木曜日)
- ↑ 官報第3704号 明治28年11月1日(金曜日)
- ↑ 官報第4207号 明治30年7月12日(月曜日)
- ↑ 官報第5047号 明治33年5月2日(水曜日)
- ↑ 官報第5790号 明治35年10月21日(火曜日)
- ↑ 官報第6426号 明治37年11月30日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第7012号 明治39年11月12日(月曜日)
- ↑ 官報第7808号 明治42年7月6日(火曜日)
- ↑ 官報第7709号 明治42年3月11日(木曜日)
- ↑ 官報第7732号 明治42年4月8日(木曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)