外松孫太郎
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- とまつ まごたろう
- 外松孫太郎
- 陸軍主計総監正三位勲二等功二級男爵
- 経理部
- 和歌山県
- 弘化4年8月1日 - 大正15年7月13日
経歴
弘化4年8月1日 | 生 |
明治30年9月28日 | 陸軍省経理局第1課長 |
明治31年10月1日 | 陸軍一等監督 |
明治33年5月20日 | 陸軍省経理局主計課長 |
明治34年4月15日 | 陸軍監督監・陸軍省経理局長 |
明治35年2月1日 | 兼会計監督長 |
明治36年12月1日 | 陸軍主計監(階級呼称変更) |
明治37年2月10日 | 大本営野戦経理長官 |
明治38年8月29日 | 任陸軍主計総監 |
明治38年12月20日 | 復員 |
明治42年8月1日 | 後備役 |
明治42年12月21日 | 貴族院議員 |
大正3年4月1日 | 退役[1] |
大正7年2月18日 | 維新史料編纂会委員被仰付[2] |
大正15年7月13日 | 薨去[3][4] |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[5] |
明治25年3月11日 | 叙従六位 |
勲六等瑞宝章 | |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 単光旭日章[6] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年3月24日 | 叙正六位 |
明治29年11月25日 | 勲五等瑞宝章[7] |
明治31年10月31日 | 叙従五位 |
明治34年8月31日 | 叙正五位 |
明治34年12月27日 | 勲三等瑞宝章 |
明治38年9月12日 | 叙従四位 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[8] |
明治40年9月21日 | 男爵 |
明治42年9月20日 | 叙正四位(特旨)[9] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[10] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[11] |
大正5年4月1日 | 賜金1500円(大正三四年事件の功)[12] |
大正7年9月30日 | 叙従三位 |
大正15年7月13日 | 薨去 叙正三位(特旨)[13] 帝都復興記念章[14] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第6651号 明治38年8月30日(水曜日)
- 官報第1849号 大正7年10月1日(火曜日)
- ↑ 官報第510号 大正3年4月14日(火曜日)
- ↑ 官報第1662号 大正7年2月19日(火曜日)
- ↑ この時「退役陸軍主計総監正三位勲二等功二級男爵」
- ↑ 官報第4170号 大正15年7月17日(土曜日)
- ↑ 官報第1947号 明治22年12月23日(月曜日)
- ↑ 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- ↑ 官報第4027号 明治29年11月30日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ 官報第7874号 明治42年9月21日(火曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)
- ↑ 官報第4169号 大正15年7月16日(金曜日)
- ↑ 官報第1724号 昭和7年9月27日(火曜日)