大沼渉
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- おおぬま わたる
- 大沼 渉
- 陸軍少将従三位勲二等男爵
- 歩兵
- 草創期
- 栃木県士族
- 弘化1年8月 - 明治32年10月16日
経歴
弘化1年8月 | 生 |
明治2年9月13日 | 任黒羽藩大参事 |
明治4年12月9日 | 任宇都宮県権典事 |
明治5年6月2日 | 免本官 任宇都宮県大属 |
昭和5年6月8日 | 依願免本官 |
明治5年9月5日 | 茨城県九等出仕申付 |
明治6年3月13日 | 任茨城県典事 |
明治6年8月4日 | 任茨城県大属 |
明治7年4月19日 | 任陸軍少佐[1] |
明治8年 | 陸軍省第1局第3課長 |
明治11年11月21日 | 任陸軍中佐・歩兵第4聯隊長 |
明治15年2月6日 | 任陸軍歩兵大佐 |
明治15年3月9日 | 仙台鎮台参謀長 |
明治18年5月21日 | 任陸軍少将 補歩兵第9旅団長[2] |
明治24年6月13日 | 補近衛歩兵第1旅団長[3] |
明治25年12月8日 | 休職被仰付[4] |
明治27年7月28日 | 留守歩兵第11旅団長兼留守第6師団長事務取扱 |
明治28年12月12日 | 休職 |
明治32年10月16日 | 薨去[5][6] |
栄典
明治7年6月13日 | 叙従六位 |
明治11年1月31日 | 叙勲四等 年金135円 (鹿児島逆徒征討之際尽力不少候ニ付)[7] |
明治13年 | 正六位 |
明治15年 | 従五位 |
明治18年4月7日 | 勲三等 |
明治18年7月25日 | 叙正五位[8] |
明治19年10月28日 | 叙従四位[9] |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章[10] |
明治25年2月13日 | 叙正四位[11] |
明治28年8月20日 | 勲二等瑞宝章[12] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[13] |
明治32年10月14日 | 依勲功特授男爵 特旨ヲ以テ華族ニ被列 叙従三位(特旨)[14] |
明治32年10月16日 | 薨去 |
明治32年11月11日 | 家督相続人大沼盾雄に襲爵被仰付[15] |
出典
- 百官履歴 下巻 (日本史籍協会叢書)
- 国民過去帳 明治之巻
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 太政官日誌 明治7年 第1−63号
- ↑ 2.0 2.1 官報第573号 明治18年6月1日(月曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第2386号 明治24年6月15日(月曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第2836号 明治25年12月9日(金曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第4892号 明治32年10月20日(金曜日)
- ↑ 6.0 6.1 『国民過去帳 明治之巻』では10月14日、明治32年10月20日官報では10月16日
- ↑ 7.0 7.1 官令全報 第24号
- ↑ 8.0 8.1 官報第672号 明治18年9月25日(金曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第1003号 明治19年11月1日(月曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第1929号 明治22年12月2日(月曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第2584号 明治25年2月15日(月曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第3644号 明治28年8月21日(水曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第4140号 明治30年4月24日(土曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第4889号 明治32年10月16日(月曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第4911号 明治32年11月13日(月曜日)