大生定孝
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- おおみ さだたか
- 大生定孝
- 陸軍少将正五位勲三等功四級
- 歩兵
- 福井県士族
- 弘化3年9月 - 大正8年12月16日
経歴
弘化3年9月 | 生 |
明治14年9月24日 | 任陸軍歩兵大尉 |
明治26年2月18日 | 任陸軍歩兵中佐 |
明治26年10月4日 | 参謀本部副官 |
明治27年6月5日 | 大本営副官兼管理部長 |
明治28年2月19日 | 任陸軍歩兵大佐 |
明治29年4月1日 | 復員 |
明治32年1月16日 | 参謀本部総務部長 |
明治33年3月12日 | 休職被仰付 |
明治33年12月1日 | 後備役 |
明治38年 | 留守歩兵第15旅団長 |
明治39年3月8日 | 退役 |
明治39年3月20日 | 任陸軍少将[1] |
大正8年12月16日 | 死去 |
栄典
明治18年4月7日 | 勲五等双光旭日章 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治26年5月26日 | 勲四等瑞宝章 |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 旭日小綬章[2] |
勲三等瑞宝章 | |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年10月28日 | ロシア帝国聖アンナ第二等勲章佩用允許 |
明治32年7月4日 | 大清帝国三等第一双龍宝星佩用允許 |
明治34年1月31日 | 叙正五位(特旨) |
明治39年4月1日 | 授旭日中綬章 賜金1500円 明治三十七八年従軍記章[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治35年7月1日調査
- 官報第535号 明治18年4月17日(金曜日)
- 官報第1938号 明治22年12月12日(木曜日)
- 官報第2974号 明治26年5月31日(水曜日)
- 官報第3824号 明治29年4月1日(水曜日)
- 官報第4005号 明治29年11月2日(月曜日)
- 官報第4810号 明治32年7月14日(金曜日)
- 官報第5006号 明治33年3月13日(火曜日)
- 官報第5272号 明治34年2月1日(金曜日)
- 官報第6903号 明治39年7月4日(水曜日)
- 官報第2218号 大正8年12月24日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』で明治39年3月20日に予備役となっているが、誤り。召集解除だろうか。
- ↑ 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)