山口鋭之助
ナビゲーションに移動
検索に移動
- やまぐち えいのすけ
- 山口鋭之助
- 宮中顧問官正三位勲一等理学博士
- 東大理
- 島根県
- 文久2年2月9日 - 昭和20年3月4日
経歴
文久2年2月9日 | 生 |
明治17年10月25日 | 東京大学理学部物理学科卒業[1] |
明治19年5月12日 | 任第一高等中学校教諭 叙奏任官五等[2] |
明治23年5月8日 | 昇叙奏任官四等[3] |
明治23年10月15日 | 任第一高等中学校教授 叙奏任官四等[4] |
明治26年9月9日 | 昇叙高等官六等[5] |
明治27年9月11日 | 第一高等学校教授(高等学校令により改称) |
明治29年2月22日 | 昇叙高等官五等[6] |
明治30年8月19日 | 任京都帝国大学理工科大学教授 叙高等官五等[7] |
明治31年4月8日 | 昇叙高等官四等[8] |
明治33年12月24日 | 昇叙高等官三等[9] |
明治37年2月18日 | 昇叙高等官二等[10] |
明治38年1月31日 | 任学習院次長 叙二等 兼任学習院教授 叙二等[11] |
明治39年1月18日 | 任学習院長 叙二等[12] |
明治40年1月31日 | 任図書頭 叙二等[13] |
明治40年4月25日 | 兼任諸陵頭 叙高等官二等[14] |
明治43年6月22日 | 昇叙高等官一等[15] |
大正3年12月1日 | 臨時帝室編修局御用掛被仰付[16] |
大正4年7月16日 | 竹田宮宮務監督被仰付[17] |
大正6年7月26日 | 帝室制度審議会御用掛被仰付[18] |
大正6年12月25日 | 専任諸陵頭 依願竹田宮宮務監督被免[19] |
大正6年12月28日 | 臨時帝室編修局御用掛被免[20] |
大正9年1月23日 | 竹田宮宮務監督被仰付[21] |
大正10年10月7日 | 任宮中顧問官 叙高等官一等 帝室制度審議会御用掛被免 竹田宮宮務監督被免 依願免本官(諸陵頭)[22] |
昭和20年3月4日 | 薨去 |
栄典
明治19年7月8日 | 叙従七位[23] |
明治25年2月29日 | 叙正七位[24] |
明治29年5月11日 | 叙従六位[25] |
明治31年5月30日 | 叙正六位[26] |
明治31年12月28日 | 勲六等瑞宝章[27] |
明治34年4月20日 | 叙従五位[28] |
明治34年6月29日 | 理学博士 |
明治36年6月26日 | 勲五等瑞宝章[29] |
明治36年12月14日 | 藍綬褒章 (第五回内国勧業博覧会ノ際尽力)[30] |
明治37年5月10日 | 叙正五位[31] |
明治38年6月24日 | 勲四等瑞宝章[32] |
明治42年5月21日 | 叙従四位[33] |
明治42年6月28日 | 勲三等瑞宝章[34] |
大正3年6月10日 | 叙正四位[35] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[36] |
大正5年1月19日 | 授旭日中綬章[37] |
大正5年6月21日 | 勲二等瑞宝章[38] |
大正9年6月21日 | 叙従三位[39] |
大正10年11月7日 | 授旭日重光章[40] |
昭和4年7月1日 | 叙正三位[41] |
昭和6年2月9日 | 勲一等瑞宝章[42] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[43] |
昭和20年3月7日 | 薨去ニ付キ幣帛ヲ下賜セラル[44] |
出典
- ↑ 1.0 1.1 官報第400号 明治17年10月27日(月曜日)
- ↑ 2.0 2.1 官報第858号 明治19年5月14日(金曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第2057号 明治23年5月12日(月曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第2191号 明治23年10月16日(木曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第3062号 明治26年9月11日(月曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第3794号 明治29年2月25日(火曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第4241号 明治30年8月20日(金曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第4429号 明治31年4月9日(土曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第5246号 明治33年12月25日(火曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第6187号 明治37年2月19日(金曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第6474号 明治38年2月1日(水曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第6764号 明治39年1月19日(金曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第7075号 明治40年2月1日(金曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第7144号 明治40年4月26日(金曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第8100号 明治43年6月23日(木曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第701号 大正3年12月2日(水曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第888号 大正4年7月17日(土曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第1497号 大正6年7月27日(金曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第1621号 大正6年12月26日(水曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第1624号 大正6年12月29日(土曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第2240号 大正9年1月24日(土曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第2757号 大正10年10月8日(土曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第908号 明治19年7月12日(月曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第2597号 明治25年3月1日(火曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第3858号 明治29年5月12日(火曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第4473号 明治31年5月31日(火曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第4651号 明治32年1月4日(水曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第5337号 明治34年4月22日(月曜日)
- ↑ 29.0 29.1 官報第5995号 明治36年6月27日(土曜日)
- ↑ 30.0 30.1 官報第6139号 明治36年12月17日(木曜日)
- ↑ 31.0 31.1 官報第6256号 明治37年5月11日(水曜日)
- ↑ 32.0 32.1 官報第6595号 明治38年6月26日(月曜日)
- ↑ 33.0 33.1 官報第7770号 明治42年5月22日(土曜日)
- ↑ 34.0 34.1 官報第7802号 明治42年6月29日(火曜日)
- ↑ 35.0 35.1 官報第558号 大正3年6月11日(木曜日)
- ↑ 36.0 36.1 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 37.0 37.1 官報第1038号 大正5年1月20日(木曜日)
- ↑ 38.0 38.1 官報第1167号 大正5年6月22日(木曜日)
- ↑ 39.0 39.1 官報第2366号 大正9年6月22日(火曜日)
- ↑ 40.0 40.1 官報第2781号 大正10年11月8日(火曜日)
- ↑ 41.0 41.1 官報第853号 昭和4年11月1日(金曜日)
- ↑ 42.0 42.1 官報第1233号 昭和6年2月10日(火曜日)
- ↑ 43.0 43.1 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 44.0 44.1 官報第5443号 昭和20年3月9日(金曜日)