志水小一郎
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- しみず こいちろう
- 志水小一郎
- 陸軍法務官陸軍中尉正三位勲一等
- 法務部
- 熊本県
- 嘉永7年2月22日 - 昭和7年7月20日
経歴
嘉永7年2月22日 | 生 |
明治9年 | 工部省電信寮十三等出仕[1] |
明治10年 | 陸軍少尉 |
明治14年4月22日 | 任陸軍歩兵中尉[2] |
明治16年12月27日 | 任理事[2] |
明治20年3月10日 | 叙奏任官四等[3] |
明治27年2月24日 | 昇叙高等官六等[4] |
明治32年2月1日 | 後備役[2] |
明治32年3月29日 | 昇叙高等官四等[5] |
明治33年5月20日 | 陸軍省法務局部員ヲ命ス[6] |
明治34年6月7日 | 昇叙高等官三等[7] |
明治38年10月16日 | 退役[8] |
明治38年12月28日 | 昇叙高等官二等 補陸軍省法務局長[9] |
大正2年3月4日 | 昇叙高等官一等[10] |
大正3年2月21日 | 陸軍軍法会議法案調査中 理事分限令第六条第二項ニ依リ留任被仰付[11] |
大正10年3月30日 | 陸軍軍法会議法案調査終了ニ付 理事分限令第六条第二項ニ依ル留任被免[12] |
大正11年4月1日 | 理事を陸軍法務官と改称 |
大正13年6月8日 | 貴族院議員(勅撰議員) |
昭和7年7月20日 | 薨去 |
栄典
明治18年11月19日 | 勲五等双光旭日章[13] |
勲四等瑞宝章 | |
明治25年3月28日 | 叙従六位[14] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[15] |
明治28年12月19日 | 旭日小綬章 賜金四百円 (明治二十七八年戦役の功)[16] |
明治30年8月20日 | 叙正六位[17] |
明治34年9月30日 | 叙従五位[18] |
明治36年6月26日 | 勲三等瑞宝章[19] |
明治39年2月17日 | 叙正五位[20] |
明治39年4月1日 | 旭日中綬章 賜金三千円 明治三十七八年従軍記章[21] |
明治44年3月10日 | 叙従四位[22] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[23] |
大正1年12月18日 | 勲二等瑞宝章[24] |
大正4年11月7日 | 勲一等瑞宝章 賜金千七百円 大正三四年従軍記章 (大正三四年戦役の功)[25] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[26] |
大正5年3月31日 | 叙正四位[27] |
大正9年11月1日 | 旭日大綬章 賜金二千八百円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 (大正四年乃至九年戦役の功)[28] |
大正10年4月20日 | 叙従三位[29] |
大正10年5月30日 | 金杯一組ヲ賜フ (陸軍治罪法及海軍治罪法改正ニ関シ尽力尠カラス)[30] |
昭和7年7月20日 | 薨去 叙正三位(特旨)[31] 朝鮮昭和五年国勢調査記念章[32] 金杯一箇(昭和六年乃至九年事変の功)[33] |
昭和7年7月22日 | 薨去ニ付幣帛ヲ下賜セラル[34] 薨去ニ付貴族院ヨリ弔辞[31] |
出典
- ↑ 1.0 1.1 貴族院要覧 昭和2年12月 乙
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治35年7月1日調査
- ↑ 3.0 3.1 官報第1108号 明治20年3月14日(月曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第3197号 明治27年2月27日(火曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第4720号 明治32年3月30日(木曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第5062号 明治33年5月21日(月曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第5378号 明治34年6月8日(土曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第6850号 明治39年5月14日(月曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第6751号 明治38年12月29日(金曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第177号 大正2年3月5日(水曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第469号 大正3年2月23日(月曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第2596号 大正10年3月31日(木曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第722号 明治18年11月26日(月曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第2621号 明治25年3月29日(火曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第4062号 明治30年1月16日(土曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報号外 明治28年12月25日(水曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第4242号 明治30年8月21日(土曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第5475号 明治34年10月1日(火曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第5995号 明治36年6月27日(土曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第6790号 明治39年2月20日(火曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第7098号 明治40年3月1日(金曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第8313号 明治44年3月11日(土曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第124号 大正1年12月27日(金曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第1194号 大正5年7月24日(月曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第1098号 大正5年4月1日(土曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 29.0 29.1 官報第2614号 大正10年4月21日(木曜日)
- ↑ 30.0 30.1 官報第2648号 大正10年5月31日(火曜日)
- ↑ 31.0 31.1 31.2 官報第1669号 昭和7年7月23日(土曜日)
- ↑ 32.0 32.1 官報第2668号 昭和10年11月22日(金曜日)
- ↑ 33.0 33.1 官報第2696号 昭和10年12月27日(金曜日)
- ↑ 34.0 34.1 官報第1673号 昭和7年7月28日(木曜日)
- ↑ 官報第3538号 大正13年6月10日(火曜日)