松井修德
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- まつい しゅうとく
- 松井修德
- 別当兼式部官従三位勲二等
- 東京都
- 安政1年1月 - 昭和3年6月18日
経歴
安政1年1月 | 生 |
明治13年5月時点 | 閑院宮家従[1] |
明治22年11月26日 | 任閑院宮家令 叙奏任官六等賜四級俸[2] |
明治24年1月9日 | 非職ヲ命ス[3] |
明治26年2月14日 | 兼任式部官 叙八等[4] |
明治27年8月29日 | 兼任閑院宮家令 叙八等[5][6] |
明治30年7月5日 | 叙七等(式部官)[7] |
明治31年9月2日 | 叙七等(家令)[8] |
明治32年12月26日 | 叙六等(式部官)[9] |
明治33年12月18日 | 第五回内国勧業博覧会事務官被仰付[10] |
明治34年12月18日 | 叙六等(家令)[11] |
明治36年6月22日 | 叙五等(式部官)[12] |
明治39年8月 | 家督相続 |
明治39年12月20日 | 叙五等(家令)[13] |
明治40年12月20日 | 昇叙高等官四等(式部官)[14] |
明治42年12月25日 | 昇叙高等官四等(家令)[15] |
明治44年6月28日 | 昇叙高等官三等(式部官)[16] |
明治44年12月23日 | 賜一級俸[17] |
大正2年6月25日 | 賜三級俸[18] |
大正3年7月20日 | 任宮内事務官兼式部官 叙高等官三等 賜二級俸 閑院宮附ヲ命ス[19] |
大正6年6月26日 | 賜一級俸[20] |
大正7年6月22日 | 昇叙高等官二等(式部官)[21] |
昭和2年3月2日 | 任別当(兼式部官如故) 叙高等官二等 賜一級俸 閑院宮附ヲ命ス[22] |
昭和2年6月20日 | 恩賜財団済生会評議員嘱託[23] |
昭和3年5月9日 | 昇叙高等官一等 依願免本官並兼官 |
昭和3年6月18日 | 薨去[24] |
栄典
明治26年3月10日 | 叙正八位[25] |
明治27年7月31日 | 安南国龍星第四等勲章佩用允許[26] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[27] |
明治28年12月4日 | 勲六等単光旭日章 (明治二十七八年事件の功)[28] |
明治30年7月30日 | 叙従七位[29] |
明治32年4月18日 | ロシア帝国聖スタニスラス第二等勲章佩用允許[30] |
明治33年9月29日 | イタリア王国四等聖マウリッツィオ・ラザロ勲章佩用允許 オーストリア=ハンガリー帝国二等フランツ・ヨーゼフ勲章佩用允許 ベルギー王国三等レオポルド勲章佩用允許 オスマン帝国三等オスマニエ勲章佩用允許 フランス共和国五等レジオンドヌール勲章佩用允許[31] |
明治33年10月27日 | ロシア帝国聖アンナ第二等勲章佩用允許 ドイツ帝国二等王冠勲章佩用允許[32] |
明治35年12月27日 | 勲五等瑞宝章[33] |
明治36年7月30日 | 叙従六位[34] |
明治36年12月14日 | 藍綬褒章[35] |
明治37年2月6日 | 大清帝国二等第三双龍宝星佩用允許[36] |
明治38年12月22日 | プロイセン王国二等王冠勲章ノ星章佩用允許[37] |
明治41年1月31日 | 叙正六位[38] |
明治44年8月10日 | 叙従五位[39] |
大正3年6月29日 | 勲三等瑞宝章[40] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[41] |
大正5年8月21日 | 叙正五位[42] |
大正10年9月10日 | 大英帝国ヴィクトリア勲章ナイトコマンダー佩用允許 フランス共和国レジオンドヌール勲章コマンドール佩用允許 ベルギー王国レオポルド2世勲章グランクロア佩用允許 オランダ王国オラニエ=ナッサウ勲章グランオフィシェ佩用允許 イタリア王国王冠勲章グランオフィシェ佩用允許 ローマ法王庁大聖グレゴリウス勲章グランクロア佩用允許[43] |
大正10年10月5日 | 金杯一箇ヲ賜フ[44] |
大正11年8月30日 | 叙従四位[45] |
昭和2年9月15日 | 叙正四位[46] |
昭和3年5月9日 | 叙従三位(特旨)[47] |
出典
- ↑ 1.0 1.1 華族諸家伝 上巻
- ↑ 2.0 2.1 官報第1925号 明治22年11月27日(水曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第2257号 明治24年1月10日(土曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第2888号 明治26年2月17日(金曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第3352号 明治27年8月30日(木曜日)
- ↑ 6.0 6.1 この時は本官が式部官。
- ↑ 7.0 7.1 官報第4202号 明治30年7月6日(火曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第4555号 明治31年9月3日(土曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第4948号 明治32年12月27日(水曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第5241号 明治33年12月19日(水曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第5540号 明治34年12月19日(木曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第5991号 明治36年6月23日(火曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第7045号 明治39年12月21日(金曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第7346号 明治40年12月21日(土曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第7954号 明治42年12月27日(月曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第8405号 明治44年6月29日(木曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第8555号 明治44年12月25日(月曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第272号 大正2年6月26日(木曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第592号 大正3年7月21日(火曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第1471号 大正6年6月27日(水曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第1767号 大正7年6月24日(月曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第51号 昭和2年3月4日(金曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第144号 昭和2年6月23日(木曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第446号 昭和3年6月23日(土曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第2907号 明治26年3月11日(土曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第3339号 明治27年8月15日(水曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第4064号 明治30年1月19日(火曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第3732号 明治28年12月5日(木曜日)
- ↑ 29.0 29.1 官報第4224号 明治30年7月31日(土曜日)
- ↑ 30.0 30.1 官報第4743号 明治32年4月27日(木曜日)
- ↑ 31.0 31.1 官報第5207号 明治33年11月8日(木曜日)
- ↑ 32.0 32.1 官報第5235号 明治33年12月12日(水曜日)
- ↑ 33.0 33.1 官報第5848号 明治35年12月29日(月曜日)
- ↑ 34.0 34.1 官報第6024号 明治36年7月31日(金曜日)
- ↑ 35.0 35.1 官報第6139号 明治36年12月17日(木曜日)
- ↑ 36.0 36.1 官報第6189号 明治37年2月22日(月曜日)
- ↑ 37.0 37.1 官報第6751号 明治38年12月29日(金曜日)
- ↑ 38.0 38.1 官報第7377号 明治41年2月1日(土曜日)
- ↑ 39.0 39.1 官報第8442号 明治44年8月11日(金曜日)
- ↑ 40.0 40.1 官報第574号 大正3年6月30日(火曜日)
- ↑ 41.0 41.1 官報第1312号 大正5年12月15日(金曜日)
- ↑ 42.0 42.1 官報第1219号 大正5年5月22日(火曜日)
- ↑ 43.0 43.1 官報第2737号 大正10年9月14日(水曜日)
- ↑ 44.0 44.1 官報第2756号 大正10年10月7日(金曜日)
- ↑ 45.0 45.1 官報第3026号 大正11年9月1日(金曜日)
- ↑ 46.0 46.1 官報第271号 昭和2年11月22日(火曜日)
- ↑ 47.0 47.1 官報第408号 昭和3年5月10日(木曜日)