梶井恒
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- かじい ひさし
- 梶井 恒
- 陸軍一等軍医正正五位勲三等
- 衛生部
- 石川県士族
- 嘉永1年5月28日 -
経歴
- 石川県士族梶井少澤の長男
- 妻ちづは九谷焼陶芸家竹内吟秋(源三郎)の長女
- 二男陸軍軍医中将梶井貞吉、三男逓信省工務局長梶井剛
- 長女あい、四男滋、五男篤
- 二女良は東京帝国大学教授陸軍少尉山川洵に、三女春は三菱電機取締役正木良一に嫁す
嘉永1年5月28日 | 生 |
文部省十一等出仕[1] | |
明治7年9月15日 | 任陸軍軍医副[1] |
明治8年7月13日 | 免本官 |
明治10年5月5日 | 任陸軍軍医副 |
明治13年5月25日 | 任陸軍軍医[2] |
明治16年5月4日 | 陸軍一等軍医(階級呼称変更) |
明治17年時点 | 近衛歩兵第2聯隊第1大隊医官[2] |
仙台鎮台医官 | |
明治21年2月16日 | 歩兵第20聯隊医官心得被仰付 |
明治21年11月30日 | 任陸軍二等軍医正(少佐相当)[3] 補歩兵第20聯隊附 |
明治23年6月6日 | 補歩兵第9聯隊附兼大津衛戍病院長[3] |
明治28年5月27日 | 補臨時陸軍検疫部事務官 |
明治28年9月15日 | 台湾兵站監部附被仰付 |
明治29年3月13日 | 補台北衛戍病院長 |
明治29年4月20日 | 任陸軍一等軍医正(中佐相当)[4][5][6] 補台北衛戍病院長 |
明治30年3月24日 | 陸軍二等軍医正(階級呼称変更) |
明治30年3月31日 | 補金沢衛戍病院長 |
明治31年時点 | 広島陸軍予備病院長[5] |
明治31年10月1日 | 補第7師団軍医部長 |
明治35年6月26日 | 補第10師団軍医部長 |
明治35年11月15日 | 任陸軍一等軍医正 |
明治36年6月25日 | 休職被仰付 |
明治38年12月27日 | 後備被仰付 |
明治42年4月1日 | 退役 |
栄典
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年6月10日 | 叙勲五等授双光旭日章 年金100円 |
明治29年6月30日 | 叙正六位 |
明治35年11月29日 | 叙勲四等授瑞宝章 |
明治39年1月25日 | 叙正五位(特旨) |
明治39年4月1日 | 叙勲三等授旭日中綬章 賜金2000円 明治三十七八年従軍記章 |
出典
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- 官報第1391号 明治21年2月22日(水曜日)
- 官報第1630号 明治21年12月4日(火曜日)
- 官報第3572号 明治28年5月29日(水曜日)
- 官報第3668号 明治28年9月18日(水曜日)
- 官報第3826号 明治29年4月4日(土曜日)
- 官報第3846号 明治29年4月28日(火曜日)
- 官報号外 明治29年6月25日(木曜日)
- 官報第3901号 明治29年7月1日(水曜日)
- 官報第4025号 明治29年11月27日(金曜日)
- 官報第5693号 明治35年6月27日(金曜日)
- 官報第5812号 明治35年11月17日(月曜日)
- 官報第5824号 明治35年12月1日(月曜日)
- 官報第5994号 明治36年6月26日(金曜日)
- 官報第6750号 明治38年12月28日(木曜日)
- 官報第6771号 明治39年1月27日(土曜日)
- 官報号外 明治39年12月10日(月曜日)
- 官報第7732号 明治42年4月8日(木曜日)
- 人事興信録 初版(明36.4刊)
- 「陸軍一等軍医梶井恒外七名特旨叙位ノ件」Ref.A10110215800
- ↑ 1.0 1.1 「第73号9月15日、7月17、18、20、21日分」Ref.C08010409000
- ↑ 2.0 2.1 「職員録・明治十七年七月・陸軍将校並同等官実役停年名簿(国立公文書館)」Ref.A09054353200
- ↑ 3.0 3.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治27年7月1日調
- ↑ 官報第3840号 明治29年4月21日(火曜日)
- ↑ 5.0 5.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治31年7月1日調
- ↑ 明治29年4月20日陸軍一等軍医正に任官されたが明治30年に階級呼称変更され陸軍二等軍医正に改称。