田中稔
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- たなか みのる
- 田中 稔
- 陸軍中将従三位勲一等功五級
- 歩兵
- 士候15 陸大25
- 東京都士族
- 明治16年5月19日 -
経歴
明治16年5月19日 | 生 |
明治36年11月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候15) |
明治37年2月12日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治43年12月12日 | 陸軍大学校入学 |
大正2年11月26日 | 陸軍大学校卒業(第25期) |
大正15年3月2日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第23聯隊長 |
昭和3年3月8日 | 陸軍戸山学校教育部長 |
昭和4年3月16日 | 近衛師団司令部附(東京帝国大学服務) |
昭和6年8月1日 | 陸軍少将・歩兵第19旅団長 |
昭和8年8月1日 | 第9師団司令部附 |
昭和9年12月10日 | 旅順要塞司令官 |
昭和10年8月1日 | 陸軍中将 |
昭和10年12月2日 | 第3師団留守司令官 |
昭和11年8月1日 | 待命 |
昭和11年8月29日 | 予備役被仰付 |
昭和12年8月15日 | 留守第3師団長 |
昭和14年8月1日 | 召集解除 |
昭和17年7月3日 | 任陸軍司政長官 叙高等官一等 |
栄典
明治37年4月7日 | 叙正八位[1] |
明治38年8月18日 | 叙従七位[2] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年9月30日 | 叙正七位[3] |
大正4年10月30日 | 叙従六位[4] |
大正9年11月30日 | 叙正六位[5] |
大正14年12月28日 | 叙従五位 |
昭和5年11月6日 | 旭日中綬章[6] |
昭和6年2月2日 | 叙正五位 |
昭和10年9月2日 | 叙従四位 |
昭和11年9月26日 | 叙正四位(特旨) |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[7] |
昭和20年7月20日 | 叙従三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- 官報第4047号 大正15年2月23日(火曜日)
- 官報第1233号 昭和6年2月10日(火曜日)
- 官報第2606号 昭和10年9月7日(土曜日)
- 官報第2900号 昭和11年8月31日(月曜日)
- 官報第2925号 昭和11年9月30日(水曜日)
- 官報第4644号 昭和17年7月4日(土曜日)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、陸軍司政長官田中稔外二名叙位ノ件(国立公文書館)」Ref.A12090730300