石原應恆
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- いしはら おうこう
- 石原應恆[1]
- 陸軍少将従四位勲二等功三級
- 歩兵
- 群馬県士族
- 嘉永3年3月18日 - 昭和11年
経歴
- 群馬県高崎市士族石原應隣の長男
嘉永3年3月18日 | 生 |
明治5年3月16日 | 任陸軍少尉 |
明治7年9月 | 陸軍中尉 |
明治10年 | 西南戦争従軍 |
明治10年7月 | 陸軍大尉 |
明治23年11月 | 陸軍歩兵少佐 |
明治27年 | 日清戦争従軍 |
明治31年10月 | 陸軍歩兵中佐 |
明治33年4月25日 | 歩兵第18聯隊長 |
明治34年11月3日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治38年2月6日 | 陸軍少将・歩兵第11旅団長 |
明治41年3月18日 | 後備被仰付[2] |
昭和11年 | 卒去 |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治29年5月 | 功四級金鵄勲章・金五百円 |
明治32年12月 | 勲三等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[3] |
明治41年4月20日 | 叙従四位(特旨)[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1947号 明治22年12月23日(月曜日)
- 石原應恒 (初版) - 『人事興信録』データベース
- 群馬県出身陸軍軍人
- ↑ 明治41年4月21日官報では「應恆」、明治36年停年名簿では「應恒」
- ↑ 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第7442号 明治41年4月21日(火曜日)