股野琢
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- またの たく
- 股野 琢
- 宮中顧問官従二位勲一等
- 兵庫県
- 天保9年8月21日 - 大正10年10月13日
経歴
天保9年8月21日 | 生 |
明治4年 | 教部省宣教掛 |
明治8年9月30日 | 任四等法制官[1] |
明治9年7月1日 | 任三等法制官[2] |
明治10年 | 太政官少書記官 |
明治13年 | 太政官権大書記官 |
明治16年 | 太政官大書記官 |
明治18年12月24日 | 任内閣書記官[3] |
明治19年4月10日 | 叙奏任官一等賜上級俸[4] |
明治19年4月27日 | 任法制局参事官 叙奏任官一等賜上級俸[5] |
明治21年12月14日 | 帝室制度取調掛被仰付[6] |
明治22年5月7日 | 任内閣記録局長 叙奏任官一等賜上級俸[7] |
明治22年7月23日 | 任宮内書記官兼補調査課長 叙奏任官一等特賜年俸三千五百円 帝室制度取調掛被仰付[8] |
明治22年9月18日 | 兼任久邇宮別当 叙勅任官二等[9] |
明治22年9月19日 | 帝室制度取調委員被仰付[10] |
明治22年10月25日 | 兼任帝室会計審査官(兼久邇宮別当如故)[11] |
明治22年12月19日 | 兼任山階宮別当(兼久邇宮別当帝室会計審査官如故)[12] |
明治23年2月15日 | 兼補内事課長 免兼山階宮別当 免調査課長[13] |
明治24年2月7日 | 免兼帝室会計審査官[14] |
明治24年5月1日 | 兼任文事秘書官 叙勅任官二等 免兼官(久邇宮別当) |
明治26年4月6日 | 任文事秘書官 叙二等 兼任宮内書記官 叙三等 兼補内事課長[15] |
明治26年4月12日 | 文事秘書官長心得被仰付[16] |
明治26年9月8日 | 文事秘書官長心得被免[17] |
明治28年12月26日 | 依願免兼宮内書記官(兼内事課長如故)[18] |
明治30年9月27日 | 免兼内事課長 宮内書記官事務補助被仰付[19] |
明治30年12月2日 | 兼任内匠頭 叙二等[20] |
明治31年3月11日 | 免兼官(内匠頭)[21] |
明治31年8月17日 | 兼任東宮御所御造営局事務官 叙二等[22] |
明治33年3月16日 | 兼任帝国博物館総長[23] |
明治33年7月1日 | 帝室博物館に改称 |
明治35年6月17日 | 依願免文事秘書官[24] |
明治36年8月29日 | 帝室制度調査局御用掛被免[25] |
明治38年6月26日 | 兼任文事秘書官 叙二等[26] |
明治41年1月1日 | 兼任内大臣秘書官長 叙高等官一等[27] |
大正1年7月31日 | 大喪使事務官被仰付[28] |
大正1年8月1日 | 評議所評議員ヲ命ス(大喪使)[29] |
大正2年11月22日 | 大礼使参与官被仰付[30] |
大正3年4月11日 | 大喪使事務官被仰付[31] |
大正3年4月12日 | 評議所評議員ヲ命ス(大喪使)[32] |
大正4年4月12日 | 大礼使参与官被仰付[33] |
大正6年12月25日 | 依願免本官並兼官 任宮中顧問官 叙高等官一等[34] |
大正7年2月18日 | 維新史料編纂会委員被仰付[35] |
大正7年6月8日 | 任臨時帝室編修官長兼宮中顧問官 叙高等官一等[36] |
大正10年1月17日 | 依願免本官専任宮中顧問官 臨時帝室編修局御用掛被仰付[37] |
大正10年10月13日 | 薨去[38] |
栄典
明治19年5月29日 | 勲六等単光旭日章[39] |
明治22年9月28日 | 叙従四位[40] |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章[41] |
明治22年12月27日 | 勲五等瑞宝章[42] |
明治23年12月25日 | 勲四等瑞宝章[43] |
明治27年9月11日 | 叙正四位[44] |
明治28年10月31日 | 勲二等瑞宝章[45] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[46] |
明治38年12月22日 | 勲一等瑞宝章[47] |
明治39年4月1日 | 賜金八百円 (明治三十七八年事件の功)[48] |
明治43年4月11日 | 叙正三位[49] |
大正2年12月27日 | 旭日大綬章[50] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[51] |
大正5年1月19日 | 金杯一組ヲ賜フ[52] |
大正5年4月1日 | 賜金七百円 (大正三四年事件の功)[53] |
大正6年12月25日 | 叙従二位(特旨)[34] |
出典
- ↑ 1.0 1.1 太政官日誌 明治8年8−12月
- ↑ 2.0 2.1 太政官日誌 明治9年7−12月
- ↑ 3.0 3.1 官報第747号 明治18年12月25日(金曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第833号 明治19年4月15日(木曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第845号 明治19年4月29日(木曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第1641号 明治21年12月17日(月曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第1755号 明治22年5月9日(木曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第1821号 明治22年7月25日(木曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第1869号 明治22年9月19日(木曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第1870号 明治22年9月20日(金曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第1899号 明治22年10月26日(土曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第1945号 明治22年12月20日(金曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第1987号 明治23年2月17日(月曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第2281号 明治24年2月9日(月曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第2928号 明治26年4月7日(金曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第2935号 明治26年4月15日(土曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第3061号 明治26年9月9日(土曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第3751号 明治28年12月27日(金曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第4273号 明治30年9月28日(火曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第4328号 明治30年12月3日(金曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第4405号 明治31年3月12日(土曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第4541号 明治31年8月18日(木曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第5010号 明治33年3月17日(土曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第5685号 明治35年6月18日(水曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第6050号 明治36年8月31日(月曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第6596号 明治38年6月27日(火曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第7354号 明治41年1月4日(土曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第2号 大正1年8月1日(木曜日)
- ↑ 29.0 29.1 官報第3号 大正1年8月2日(金曜日)
- ↑ 30.0 30.1 官報第397号 大正2年11月24日(月曜日)
- ↑ 31.0 31.1 官報第509号 大正3年4月13日(月曜日)
- ↑ 32.0 32.1 官報第510号 大正3年4月14日(火曜日)
- ↑ 33.0 33.1 官報号外 大正4年4月12日(月曜日)
- ↑ 34.0 34.1 34.2 官報第1621号 大正6年12月26日(水曜日)
- ↑ 35.0 35.1 官報第1662号 大正7年2月19日(火曜日)
- ↑ 36.0 36.1 官報第1755号 大正7年6月10日(月曜日)
- ↑ 37.0 37.1 官報第2536号 大正10年1月18日(火曜日)
- ↑ 38.0 38.1 官報第2764号 大正10年10月18日(火曜日)
- ↑ 39.0 39.1 官報第872号 明治19年5月31日(月曜日)
- ↑ 40.0 40.1 官報第1878号 明治22年10月1日(火曜日)
- ↑ 41.0 41.1 官報第1929号 明治22年12月2日(月曜日)
- ↑ 42.0 42.1 官報第1952号 明治22年12月28日(土曜日)
- ↑ 43.0 43.1 官報第2251号 明治23年12月27日(土曜日)
- ↑ 44.0 44.1 官報第3363号 明治27年9月12日(水曜日)
- ↑ 45.0 45.1 官報第3704号 明治28年11月1日(金曜日)
- ↑ 46.0 46.1 官報第4016号 明治29年11月16日(月曜日)
- ↑ 47.0 47.1 官報第6746号 明治38年12月23日(土曜日)
- ↑ 48.0 48.1 官報第7194号 明治40年6月24日(月曜日)
- ↑ 49.0 49.1 官報第8038号 明治43年4月12日(火曜日)
- ↑ 50.0 50.1 官報第427号 大正2年12月29日(月曜日)
- ↑ 51.0 51.1 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 52.0 52.1 官報第1038号 大正5年1月20日(木曜日)
- ↑ 53.0 53.1 官報第1242号 大正5年9月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2349号 明治24年5月2日(土曜日)