遠山規方
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- とおやま のりかた
- 遠山規方
- 陸軍少将従四位勲三等
- 歩兵
- 草創期
- 秋田県
- 弘化4年10月 - 大正5年11月25日
経歴
弘化4年10月 | 生 |
明治5年 | 陸軍中尉 |
明治9年7月15日 | 任陸軍大尉[1] |
明治19年5月26日 | 任陸軍歩兵少佐 |
明治28年2月6日 | 任陸軍歩兵中佐・台湾兵站参謀長 |
明治29年3月12日 | 台湾守備歩兵第2聯隊長 |
明治30年9月7日 | 補歩兵第20聯隊長[2][3] |
明治30年10月11日 | 補熊本聯隊区司令官 |
明治32年2月7日 | 補歩兵第46聯隊長[4] |
明治32年8月26日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治35年1月1日 | 後備被仰付[5][6] |
明治39年2月21日 | 陸軍少将[7] |
明治40年4月1日 | 退役 |
大正5年11月25日 | 卒去 |
栄典
明治18年4月7日 | 勲四等旭日小綬章 |
明治19年7月8日 | 叙従六位 |
明治25年4月9日 | 叙正六位 |
明治29年2月22日 | 勲三等旭日中綬章 年金360円 |
明治30年7月10日 | 叙従五位 |
明治35年3月31日 | 叙正五位(特旨) |
明治39年4月1日 | 賜金3000円 明治三十七八年従軍記章[8] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[9] |
大正5年11月25日 | 叙従四位(特旨)[10] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治31年7月1日調
- 官報第532号 明治18年4月14日(火曜日)
- 官報第909号 明治19年7月13日(火曜日)
- 官報第2632号 明治25年4月11日(月曜日)
- 官報第3794号 明治29年2月25日(火曜日)
- 官報第4207号 明治30年7月12日(月曜日)
- 官報第4285号 明治30年10月12日(火曜日)
- 官報第5619号 明治35年4月1日(火曜日)
- 官報第7165号 明治40年5月21日(火曜日)
- 太政官日誌 明治9年7−12月
- ↑ 『太政官日誌』では7月15日、明治17年停年名簿では7月5日
- ↑ 官報第4258号 明治30年9月9日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に9月12日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第4680号 明治32年2月9日(木曜日)
- ↑ 官報第5549号 明治35年1月4日(土曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に「休職」とあるのは誤り。
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に「後備」とあるのは誤り。
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第1311号 大正5年12月14日(木曜日)
- ↑ 官報第1297号 大正5年11月28日(火曜日)