齋藤桃太郎
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- さいとう ももたろう
- 齋藤桃太郎
- 宮中顧問官正三位勲一等
- 昌平黌
- 東京府士族
- 嘉永6年8月13日 - 大正4年12月27日
経歴
嘉永6年8月13日 | 生[1][2] |
昌平黌に学ぶ[3] | |
明治6年 | イタリア留学[3] |
明治8年6月5日 | 在伊太利国公使館附三等書記見習申付候事 |
明治9年5月9日 | 書記二等見習申付候事 |
明治11年1月16日 | 書記一等見習申付候事 |
明治12年12月12日 | 任外務三等書記生 |
明治14年8月20日 | 任外務書記生 |
明治16年7月26日 | 任外務二等属 |
明治16年7月 | 家督相続[3] |
明治16年12月22日 | 依願免本官 宮内省御用掛被仰付(奏任官ニ准シ取扱候事) |
明治17年10月3日 | 任式部官 七等官相当年俸九百円下賜候事[4] |
明治17年10月4日 | 宮内省御用掛兼勤被仰付候事[5] |
明治18年3月12日 | 太政官御用掛兼勤被仰付候事 左大臣秘書官被仰付候事[6] |
明治19年2月5日 | 任宮内書記官兼式部官補外事課次長[7] |
明治19年2月15日 | 奏任三等年俸千四百円下賜[8] |
明治19年10月7日 | 任宮内大臣秘書官兼補外事課次長(兼式部官如故) 奏任三等 年俸千四百円下賜[9] |
明治21年6月13日 | 兼任有栖川宮家令(兼式部官如故)[10] |
明治23年5月20日 | 宮内書記官事務補助ヲ命ス[11] |
明治23年6月13日 | 補内事課次長[12] |
明治23年6月26日 | 帝室制度取調掛被仰付[13] |
明治23年12月2日 | 兼任文事秘書官 叙奏任官三等[14] |
明治23年12月22日 | 叙奏任官二等賜三級俸[15] |
明治24年5月1日 | 免兼文事秘書官[16] |
明治28年12月26日 | 任宮内書記官(兼式部官有栖川宮家令内事課次長如故) 叙三等[17] |
明治29年7月1日 | 叙二等(式部官)[18] |
明治30年1月15日 | 兼任大喪使事務官[19] |
明治30年9月27日 | 兼補内事課長[20] |
明治31年2月8日 | 兼任有栖川宮別当 (兼式部官内事課長如故)[21] |
明治33年2月11日 | 東宮御婚儀御用掛被仰付[22] |
明治34年11月29日 | 任東宮大夫 叙一等 当分内事課長有栖川宮別当心得被仰付[23] |
明治35年4月10日 | 有栖川宮別当心得被免[24] |
明治36年8月7日 | 内事課長心得被免[25] |
明治38年1月23日 | 任帝室会計審査局長 叙一等[26] |
明治41年1月1日 | 帝室会計審査局長官(改称) |
明治41年4月25日 | 昌子内親王御婚儀御用掛被仰付[27] |
明治41年4月27日 | 常宮御用掛被仰付[28] |
明治41年4月30日 | 竹田宮御用掛被仰付[29] |
明治42年6月5日 | 依願竹田宮御用掛被免[30] |
明治43年4月2日 | 富美宮御用掛被仰付 朝香宮御用掛[31] |
明治43年8月31日 | 宗秩寮審議官被仰付[32] |
明治44年6月2日 | 朝香宮御用掛被免[33] |
大正1年7月31日 | 大喪使事務官被仰付[34] |
大正1年8月1日 | 評議所評議員ヲ命ス(大喪使) 儀式部長ヲ命ス(大喪使)[35] |
大正2年1月14日 | 大礼準備委員被仰付[36] |
大正2年7月10日 | 故元帥海軍大将威仁親王葬儀掛被仰付[37] |
大正2年11月22日 | 大礼使参与官被仰付 評議会会員ヲ命ス 典儀部長ヲ命ス 大礼準備委員被免[38] |
大正2年12月5日 | 願ニ依リ典儀部長ヲ免ス[39] |
大正3年4月11日 | 大喪使事務官被仰付[40] |
大正3年4月12日 | 評議所評議員ヲ命ス(大喪使)[41] |
大正3年5月1日 | 有栖川宮家務監督被仰付[42] |
大正3年7月20日 | 任宮中顧問官 叙高等官一等[43] |
大正4年4月12日 | 大礼使参与官被仰付[44] |
大正4年12月27日 | 薨去[45] |
栄典
位階勲等
明治17年11月14日 | 叙正七位[46] |
明治19年7月8日 | 叙従六位[47] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[48] |
明治24年12月7日 | 叙正六位[49] |
明治26年12月28日 | 勲六等瑞宝章[50] |
明治28年10月31日 | 勲五等双光旭日章[51] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[52] |
明治29年1月10日 | 叙従五位[53] |
明治29年7月20日 | 叙正五位[54] |
明治31年6月28日 | 勲四等瑞宝章[55] |
明治32年9月14日 | 木杯一箇下賜[56] |
明治34年7月20日 | 叙従四位[57] |
明治35年6月30日 | 勲三等瑞宝章[58] |
明治37年12月27日 | 勲二等瑞宝章[59] |
明治39年4月1日 | 旭日重光章[60] 明治三十七八年従軍記章[61] |
明治39年7月30日 | 叙正四位[62] |
明治41年4月30日 | 勲一等瑞宝章[29] |
明治44年4月16日 | 木杯一組下賜[63] |
明治44年8月10日 | 叙従三位[64] |
大正4年12月1日 | 授旭日大綬章[65] |
大正4年12月27日 | 薨去 叙正三位(特旨)[66] |
大正4年12月30日 | 葬送ニ付勅使トシテ侍従子爵海江田幸吉ヲ差遣ハサレ幣帛ヲ下賜セラル[67] |
外国勲章
明治16年8月13日 | イタリア王国五等聖マウリッツィオ・ラザロ勲章[68] |
明治18年5月25日 | スウェーデン王国三等ヴァーサ勲章[69] |
明治21年3月6日 | ロシア帝国聖スタニスラス第二等勲章[70] |
明治23年5月6日 | ロシア帝国聖アンナ第二等勲章 スペイン王国シャールトロワー第三等勲章 ベルギー王国三等レオポルド勲章 ドイツ国二等赤鷲勲章 オーストリア=ハンガリー帝国二等鉄冠勲章 ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国二等白隼勲章[71] |
明治25年4月11日 | ロシア帝国金剛石装飾聖アンナ第二等勲章[72] |
明治25年9月1日 | ハワイ王国二等王冠勲章[73] |
明治27年8月8日 | タイ王国三等白象勲章[74] |
明治29年10月23日 | 安南国龍星第三等勲章[75] |
明治30年9月10日 | スペイン王国一等イサベル・ラ・カトリカ女王勲章[76] |
明治33年4月10日 | 大清帝国二等第二双龍宝星[77] |
明治33年10月25日 | ロシア帝国聖スタニスラス第一等勲章[78] |
明治34年5月17日 | フランス共和国三等レジオンドヌール勲章[79] |
明治37年11月29日 | 大韓帝国勲一等太極大綬章[80] |
明治38年9月20日 | イタリア王国一等王冠勲章 大不列顚国一等ヴィクトリア勲章 プロイセン王国一等王冠勲章 ベルギー王国一等王冠勲章 オランダ王国一等オラニエ=ナッサウ勲章 フランス共和国黒星第一等勲章[81] |
出典
- ↑ 1.0 1.1 「宮内大臣正三位勲一等男爵波多野敬直外八十二名叙勲ノ件」Ref.A10112795700
- ↑ 2.0 2.1 「宮内大臣正三位勲一等男爵波多野敬直外八十二名叙勲ノ件」附属の履歴書では嘉永6年8月13日、人事興信録では嘉永6年2月13日。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 人事興信録 4版
- ↑ 4.0 4.1 官報第382号 明治17年10月4日(土曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第383号 明治17年10月6日(月曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第507号 明治18年3月13日(金曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第777号 明治19年2月6日(土曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第811号 明治19年3月19日(金曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第983号 明治19年10月8日(金曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第1486号 明治21年6月14日(木曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第2065号 明治23年5月21日(水曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第2086号 明治23年6月14日(土曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第2097号 明治23年6月27日(金曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第2230号 明治23年12月03日(水曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第2247号 明治23年12月23日(火曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第2349号 明治24年5月2日(土曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第3751号 明治28年12月27日(金曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第3902号 明治29年7月2日(木曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報号外 明治30年1月16日(土曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第4273号 明治30年9月28日(火曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第4379号 明治31年2月9日(水曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第4981号 明治33年2月12日(月曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第5524号 明治34年11月30日(土曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第5627号 明治35年4月11日(金曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第6031号 明治36年8月8日(土曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第6468号 明治38年1月24日(火曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第7447号 明治41年4月27日(月曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第7448号 明治41年4月28日(火曜日)
- ↑ 29.0 29.1 29.2 官報第7451号 明治41年5月1日(金曜日)
- ↑ 30.0 30.1 官報第7783号 明治42年6月7日(月曜日)
- ↑ 31.0 31.1 官報第8031号 明治43年4月4日(月曜日)
- ↑ 32.0 32.1 官報第8160号 明治43年9月1日(木曜日)
- ↑ 33.0 33.1 官報第8383号 明治44年6月3日(土曜日)
- ↑ 34.0 34.1 官報第2号 大正1年8月1日(木曜日)
- ↑ 35.0 35.1 官報第3号 大正1年8月2日(金曜日)
- ↑ 36.0 36.1 官報第136号 大正2年1月15日(水曜日)
- ↑ 37.0 37.1 官報号外 大正2年7月10日(木曜日)
- ↑ 38.0 38.1 官報第397号 大正2年11月24日(月曜日)
- ↑ 39.0 39.1 官報第408号 大正2年12月6日(土曜日)
- ↑ 40.0 40.1 官報第509号 大正3年4月13日(月曜日)
- ↑ 41.0 41.1 官報第510号 大正3年4月14日(火曜日)
- ↑ 42.0 42.1 官報第526号 大正3年5月2日(土曜日)
- ↑ 43.0 43.1 官報第592号 大正3年7月21日(火曜日)
- ↑ 44.0 44.1 官報号外 大正4年4月12日(月曜日)
- ↑ 45.0 45.1 官報第1024号 大正4年12月29日(水曜日)
- ↑ 46.0 46.1 官報第416号 明治17年11月15日(土曜日)
- ↑ 47.0 47.1 官報第907号 明治19年7月10日(土曜日)
- ↑ 48.0 48.1 官報第1937号 明治22年12月11日(水曜日)
- ↑ 49.0 49.1 官報第2533号 明治24年12月8日(火曜日)
- ↑ 50.0 50.1 官報第3152号 明治26年12月29日(金曜日)
- ↑ 51.0 51.1 官報第3704号 明治28年11月1日(金曜日)
- ↑ 52.0 52.1 官報第4016号 明治29年11月16日(月曜日)
- ↑ 53.0 53.1 官報第3758号 明治29年1月11日(土曜日)
- ↑ 54.0 54.1 官報第3918号 明治29年7月21日(火曜日)
- ↑ 55.0 55.1 官報第4499号 明治31年6月30日(木曜日)
- ↑ 56.0 56.1 官報第4926号 明治32年12月1日(金曜日)
- ↑ 57.0 57.1 官報第5415号 明治34年7月22日(月曜日)
- ↑ 58.0 58.1 官報第5696号 明治35年7月1日(火曜日)
- ↑ 59.0 59.1 官報第6450号 明治37年12月28日(水曜日)
- ↑ 60.0 60.1 官報号外 明治40年3月31日(日曜日)
- ↑ 61.0 61.1 官報第7606号 明治41年10月31日(土曜日)
- ↑ 62.0 62.1 官報第6926号 明治39年7月31日(火曜日)
- ↑ 63.0 63.1 官報第8194号 明治43年10月12日(水曜日)
- ↑ 64.0 64.1 官報第8442号 明治44年8月11日(金曜日)
- ↑ 65.0 65.1 官報第1001号 大正4年12月2日(木曜日)
- ↑ 66.0 66.1 官報第1023号 大正4年12月28日(火曜日)
- ↑ 67.0 67.1 官報第1027号 大正5年1月7日(金曜日)
- ↑ 68.0 68.1 官報第38号 明治16年8月14日(火曜日)
- ↑ 69.0 69.1 官報第570号 明治18年5月28日(木曜日)
- ↑ 70.0 70.1 官報第1403号 明治21年3月7日(水曜日)
- ↑ 71.0 71.1 官報第2054号 明治23年5月8日(木曜日)
- ↑ 72.0 72.1 官報第2635号 明治25年4月14日(木曜日)
- ↑ 73.0 73.1 官報第2758号 明治25年9月5日(月曜日)
- ↑ 74.0 74.1 官報第3338号 明治27年8月14日(火曜日)
- ↑ 75.0 75.1 官報第4005号 明治29年11月2日(月曜日)
- ↑ 76.0 76.1 官報第4263号 明治30年9月15日(水曜日)
- ↑ 77.0 77.1 官報第5039号 明治33年4月23日(月曜日)
- ↑ 78.0 78.1 官報第5207号 明治33年11月8日(木曜日)
- ↑ 79.0 79.1 官報第5265号 明治34年5月24日(金曜日)
- ↑ 80.0 80.1 官報第6433号 明治37年12月8日(木曜日)
- ↑ 81.0 81.1 官報第6684号 明治38年10月7日(土曜日)
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