上村幹男
ナビゲーションに移動
検索に移動
- うえむら みきお
- 上村幹男
- 陸軍中将功二級
- 歩兵
- 士候24 陸大33
- 山口県
- 明治25年7月8日 - 昭和21年3月23日自決
経歴
明治25年7月8日 | 生 |
明治45年5月28日 | 陸軍士官学校卒業(士候24) |
大正1年12月24日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正7年12月11日 | 陸軍大学校入学 |
大正10年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第33期) |
昭和6年8月1日 | 任陸軍歩兵中佐 |
昭和10年8月1日 | 任陸軍歩兵大佐・台湾軍参謀 |
昭和11年8月1日 | 陸軍大学校兵学教官 |
昭和12年8月2日 | 歩兵第76聯隊長 |
昭和13年7月15日 | 陸軍少将・歩兵第5旅団長 |
昭和15年3月9日 | 台湾軍参謀長(~昭和16年3月1日) |
昭和16年8月25日 | 陸軍中将 |
昭和16年12月29日 | 俘虜情報局長官 |
昭和18年3月11日 | 第57師団長(親補) |
昭和20年3月23日 | 補第4軍司令官(親補) |
昭和21年3月23日 | ハバロフスクで自決 |
栄典
大正2年2月20日 | 叙正八位[1] |
大正5年3月20日 | 叙従七位[2] |
昭和10年9月16日 | 叙従五位[3] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[4] |
昭和17年2月10日 | 功二級金鵄勲章(親授式)[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第68号 昭和20年3月26日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120937200