中川十全
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- なかがわ じゅうぜん
- 中川十全
- 陸軍軍医監従四位勲二等功四級
- 衛生部
- 兵庫県
- 慶応2年6月3日 - 大正12年9月17日
経歴
慶応2年6月3日 | 生[1] |
明治25年3月21日 | 任陸軍三等軍医 |
韓国駐箚京城衛戍病院長 | |
明治41年3月31日 | 補第2師団軍医部長 |
明治42年3月24日 | 任陸軍一等軍医正 |
明治43年6月28日 | 補第16師団軍医部長[2] |
大正2年8月7日 | 補陸軍軍医学校長兼同校教官[2] |
大正3年8月8日 | 任陸軍軍医監・第4師団軍医部長 |
大正7年12月17日 | 待命 |
大正8年6月4日 | 予備役 |
大正12年9月17日 | 死去[3] |
栄典
明治25年7月6日 | 叙正八位[4] |
明治34年7月19日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章[5] |
明治34年8月27日 | フランス共和国五等レジオンドヌール勲章佩用允許[6] |
明治35年5月1日 | ロシア帝国聖スタニスラス剣附第三等勲章佩用允許[7] |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[8] |
明治36年2月20日 | 叙従六位[9] |
明治37年12月27日 | プロイセン王国三等王冠勲章佩用允許[10] |
明治38年4月8日 | 叙正六位[11] |
明治38年11月30日 | 勲四等瑞宝章[12] |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章 授旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[13] |
明治41年10月23日 | 大韓帝国勲三等太極章佩用允許 大韓帝国即位礼式紀念章佩用允許[14] |
明治42年4月18日 | 皇太子渡韓記念章[15] |
明治42年5月21日 | 叙従五位[16] |
明治43年8月28日 | 大韓帝国勲二等八卦章佩用允許[17] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[18] |
大正3年6月30日 | 叙正五位[19] |
大正4年11月7日 | 賜金600円 大正三四年従軍記章[20] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[21] |
大正7年4月22日 | 勲二等瑞宝章[22] |
大正8年6月30日 | 叙従四位(特旨)[23] |
大正9年11月1日 | 賜金700円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[24] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第7426号 明治41年4月1日(水曜日)
- 官報第8105号 明治43年6月29日(水曜日)
- ↑ 中川十全 (第4版) - 『人事興信録』データベース
- ↑ 2.0 2.1 官報第308号 大正2年8月8日(金曜日)
- ↑ 官報第3343号 大正12年10月12日(金曜日)
- ↑ 官報第2707号 明治25年7月7日(木曜日)
- ↑ 官報第5414号 明治34年7月20日(土曜日)
- ↑ 官報第5463号 明治34年9月16日(月曜日)
- ↑ 官報第5650号 明治35年5月8日(木曜日)
- ↑ 官報第5820号 明治35年11月26日(水曜日)
- ↑ 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- ↑ 官報第6451号 明治37年12月29日(木曜日)
- ↑ 官報第6531号 明治38年4月12日(水曜日)
- ↑ 官報第6728号 明治38年12月2日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第7603号 明治41年10月28日(水曜日)
- ↑ 官報第7771号 明治42年5月24日(月曜日)
- ↑ 官報第7770号 明治42年5月22日(土曜日)
- ↑ 官報第8343号 明治44年4月18日(火曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第575号 大正3年7月1日(水曜日)
- ↑ 官報第1127号 大正5年5月6日(土曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1714号 大正7年4月23日(火曜日)
- ↑ 官報第2072号 大正8年7月2日(水曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)