乃木希典
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- のぎ まれすけ
- 乃木希典
- 陸軍大将正二位勲一等功一級伯爵
- 歩兵
- 山口県
- 嘉永2年11月11日 - 大正1年9月13日自決
経歴
嘉永2年11月11日 | 生 |
明治4年11月23日 | 任陸軍少佐(初任) |
明治8年12月4日 | 歩兵第14聯隊長心得 |
明治10年4月22日 | 任陸軍中佐・熊本鎮台参謀 |
明治11年1月26日 | 歩兵第1聯隊長 |
明治13年4月28日[1] | 任陸軍歩兵大佐 |
明治16年2月7日 | 東京鎮台参謀長 |
明治18年5月21日 | 任陸軍少将・歩兵第11旅団長 |
明治19年11月30日 | 独国留学 |
明治21年6月14日 | 帰国 |
明治22年3月9日 | 近衛歩兵第2旅団長 |
明治23年7月25日 | 歩兵第5旅団長 |
明治25年2月3日 | 休職 |
明治27年8月30日 | 日清戦争出征 |
明治28年4月5日 | 任陸軍中将・第2師団長 |
明治29年10月14日 | 台湾総督 |
明治31年2月26日 | 休職 |
明治31年10月3日 | 第11師団長 |
明治34年5月22日 | 休職[2] |
明治37年2月5日 | 留守近衛師団長 |
明治37年6月6日 | 任陸軍大将 |
明治37年5月2日 | 第3軍司令官 |
明治39年1月26日 | 補軍事参議官(親補) |
明治39年8月25日 | 宮内省御用掛 |
明治40年1月31日 | 兼任学習院長 叙一等 |
大正1年9月13日 | 自決 |
栄典
明治11年1月30日 | 勲四等旭日小綬章 |
明治18年4月7日 | 勲三等旭日中綬章 |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治27年5月29日 | 勲二等瑞宝章 |
明治28年8月20日 | 男爵 功三級金鵄勲章 授旭日重光章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治30年6月26日 | 勲一等瑞宝章[3] |
明治39年4月1日 | 功一級金鵄勲章(年金1500円) 授旭日桐花大綬章 明治三十七八年従軍記章[4] |
明治40年9月21日 | 伯爵 |
明治42年7月10日 | 叙従二位 |
大正5年11月3日 | 贈正二位(特旨)[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- 官報第6771号 明治39年1月27日(土曜日)
- 官報第7075号 明治40年2月1日(金曜日)
- 官報第7813号 明治42年7月12日(月曜日)
- 官報第41号 大正1年9月18日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に4月29日とあるのは誤り。
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治35年5月22日予備役とあるのは誤りか。
- ↑ 官報第4196号 明治30年6月29日(火曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第1278号 大正5年11月4日(土曜日)