亀岡泰辰
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- かめおか やすとき
- 亀岡泰辰
- 陸軍少将正五位勲三等功四級
- 歩兵
- 群馬県士族
- 嘉永5年10月4日 - 昭和8年1月7日
経歴
- 群馬県士族亀岡龍像の長男、母れん、弟長次郎・弟末吉
- 妻としは東京府士族山田久彌長女
- 男子亀岡泰躬(陸軍大尉、後失官)・男子省三
- 四男圭介・三女夏・四女喜多・五女秋・五男鎭男・六女冬・七女春
- 孫泰家の妻富貴子は陸軍中将石光眞臣三女
嘉永5年10月4日 | 生 |
明治4年 | 大阪兵学寮卒 |
陸軍教導団卒 | |
明治10年4月15日 | 任陸軍少尉[1] |
明治13年5月6日 | 任陸軍歩兵中尉[1] |
明治18年6月29日 | 任陸軍歩兵大尉[1] |
明治26年4月28日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治34年6月20日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
明治34年6月1日 | 陸軍省人事局恩賞課長 |
明治35年2月1日 | 歩兵第5聯隊遭難者ニ関スル取調委員ヲ命ス |
明治36年12月1日 | 補麻布聯隊区司令官[2] 陸軍省御用掛兼勤ヲ命ス[3] |
明治36年12月9日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治37年12月5日 | 後備歩兵第50聯隊長 |
明治38年2月21日 | 旅順要塞衛戍司令官 |
明治40年10月4日 | 任陸軍少将 後備被仰付[4] |
帝国在郷軍人会常務理事 | |
在郷軍人信用組合長 | |
昭和8年1月7日 | 卒去 |
栄典
明治18年9月16日 | 叙正七位[5] |
明治18年11月19日 | 勲五等双光旭日章 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[6] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[7] |
昭和8年1月10日 | 葬送ニ付勅使トシテ侍従大金益次郎ヲ差遣ハサレ幣帛ヲ下賜セラル[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第722号 明治18年11月26日(月曜日)
- 官報第5572号 明治35年2月3日(月曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』では明治36年12月16日
- ↑ 官報第6126号 明治36年12月2日(水曜日)
- ↑ 官報第7282号 明治40年10月5日(土曜日)
- ↑ 官報第701号 明治18年10月30日(金曜日)
- ↑ 官報第1947号 明治22年12月23日(月曜日)
- ↑ 官報第3862号 明治29年5月16日(土曜日)
- ↑ 官報第1807号 昭和8年1月11日(水曜日)