石光眞臣
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- いしみつ まおみ
- 石光眞臣
- 陸軍中将従三位勲一等功四級
- 砲兵
- 士候1 陸大14
- 熊本県
- 明治3年5月9日 - 昭和12年12月8日
経歴
明治3年5月9日 | 生[1] |
明治23年7月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候1) |
明治24年3月26日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治30年12月28日 | 陸軍大学校入学 |
明治33年12月20日 | 陸軍大学校卒業(第14期) |
明治41年12月21日 | 野砲兵第8聯隊長 |
明治43年12月23日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治44年9月9日 | 補第10師団参謀長[2] |
大正2年8月22日 | 参謀本部支那課長 |
大正4年1月25日 | 参謀本部欧米課長 |
大正5年5月2日 | 陸軍少将・支那駐屯軍司令官 |
大正7年6月10日 | 憲兵司令官 |
大正8年7月25日 | 任陸軍中将[1] |
大正9年8月10日 | 馬政長官 |
大正11年10月20日 | 第1師団長 |
大正14年5月1日 | 待命 |
大正14年5月25日 | 予備役[1] |
昭和8年4月1日 | 後備役[1] |
昭和12年4月1日 | 退役 |
昭和12年12月8日 | 薨去 |
栄典
明治25年2月3日 | 叙正八位 |
明治26年12月16日 | 叙従七位 |
明治29年5月15日 | 叙正七位 |
大正7年7月15日 | 中華民国三等文虎勲章佩用允許 |
大正8年5月30日 | 勲二等瑞宝章 |
大正8年9月10日 | 叙従四位 |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[3] |
大正9年11月1日 | 勲一等瑞宝章 賜金2400円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[4] |
大正14年6月24日 | 叙従三位 |
昭和9年時点 | 勲三等旭日中綬章 功四級金鵄勲章 ロシア帝国聖アンナ第二等勲章 中華民国二等嘉禾章[1] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1788号 大正7年7月18日(木曜日)
- 官報第2046号 大正8年5月31日(土曜日)
- 官報第3098号 昭和12年5月5日(水曜日)