伊藤賢三
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- いとう けんぞう
- 伊藤賢三
- 陸軍軍医中将正四位勲二等
- 衛生部
- 神奈川県
- 明治13年2月13日 -
経歴
- 妻道子は水原産婦人科病院長水原漸二女
明治13年2月13日 | 生[1] |
明治40年 | 東京帝国大学医科大学卒業 |
明治41年5月29日 | 任陸軍二等軍医(初任) |
大正12年8月6日 | 任陸軍一等軍医正 補陸軍省医務局衛生課長 陸軍省医務局御用掛ヲ免ス 衛生材料調査委員ヲ免ス 臨時脚気病調査会幹事,陸軍軍医学校甲種士官学生銓衡委員,衛生史編纂委員ヲ命ス 軍隊胸膜炎調査会幹事長兼勤ヲ命ス[2] |
昭和3年3月8日 | 補東京第1衛戍病院長[3][4] |
昭和3年8月10日 | 任陸軍軍医監[5][6][4] |
昭和6年8月1日 | 関東軍軍医部長[6] |
昭和8年3月18日 | 任陸軍軍医総監[6] |
昭和9年3月5日 | 待命 |
昭和9年3月24日 | 予備役[1][7] |
昭和12年2月15日 | 陸軍軍医中将(階級呼称変更) |
栄典
大正9年9月10日 | 叙正六位[8] |
昭和8年5月10日 | 勲二等瑞宝章[9] |
昭和8年時点 | 従四位 勲五等双光旭日章[6] |
昭和9年4月20日 | 叙正四位(特旨)[10] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[11] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- ↑ 官報第357号 昭和3年3月9日(金曜日)
- ↑ 4.0 4.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和3年3月8日軍医監としているのは昭和3年8月10日の間違い。
- ↑ 官報第488号 昭和3年8月11日(土曜日)
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 : 索引付. 昭和8年9月1日調
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和9年3月16日予備としているのは3月24日の間違い。
- ↑ 官報第2434号 大正9年9月11日(土曜日)
- ↑ 官報第1905号 昭和8年5月11日(木曜日)
- ↑ 官報第2191号 昭和9年4月24日(火曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)