佐藤恒丸
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- さとう つねまる
- 佐藤恒丸
- 陸軍軍医中将正三位勲一等功四級医学博士
- 衛生部
- 東京府士族
- 明治5年8月28日 - 昭和29年4月16日
経歴
明治5年8月28日 | 生[1] |
明治30年5月3日 | 任陸軍三等軍医[2] |
明治31年3月31日 | 任陸軍二等軍医 |
明治33年11月12日 | 任陸軍一等軍医 |
明治37年12月10日 | 任陸軍三等軍医正[2] |
明治41年12月21日 | 任陸軍二等軍医正[2] |
陸軍軍医学校教官 | |
明治43年7月12日 | 補京城衛戍病院長[2] |
大正1年9月28日 | 任陸軍一等軍医正[3] |
大正5年10月4日 | 朝鮮駐箚軍軍医部長(~大正9年1月30日) |
大正6年3月27日 | 任陸軍軍医監[4] |
大正9年1月30日 | 日本赤十字社病院長 |
大正11年5月10日 | 任陸軍軍医総監 |
大正12年3月17日 | 依願予備役被仰付[5] |
昭和2年9月23日 | 任侍医頭兼侍医 叙高等官一等 |
昭和10年4月1日 | 後備役 |
昭和12年2月15日 | 陸軍軍医中将(階級呼称変更) |
昭和12年3月9日 | 任宮中顧問官 叙高等官一等 |
昭和14年4月1日 | 退役[6] |
昭和29年4月16日 | 薨去 |
栄典
明治30年8月20日 | 叙正八位 |
明治31年5月10日 | 叙従七位 |
明治34年2月28日 | 叙正七位 |
明治44年12月23日 | 医学博士 |
明治45年時点 | 正六位 勲四等旭日小綬章 功四級金鵄勲章[2] |
大正1年9月1日 | 韓国併合記念章 |
大正2年5月31日 | 勲三等瑞宝章 |
大正3年時点 | 従五位[3] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章 |
大正6年4月30日 | 叙正五位[4] |
大正9年11月1日 | 勲二等瑞宝章 賜金1200円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
大正11年5月10日 | 叙従四位 |
大正12年4月10日 | 叙正四位(特旨) |
大正14年7月11日 | ポーランド共和国復興星附コマンドルスキ十字勲章佩用允許[7] |
昭和3年12月28日 | 金杯一組 |
昭和7年10月1日 | 叙従三位 |
昭和10年5月11日 | 勲一等瑞宝章[8] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
明治16年10月15日 | 叙正三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第4242号 明治30年8月21日(土曜日)
- 官報第4456号 明治31年5月11日(水曜日)
- 官報第5295号 明治34年3月1日(金曜日)
- 官報第8117号 明治43年7月13日(水曜日)
- 官報第217号 大正2年4月23日(水曜日)
- 官報第251号 大正2年6月2日(月曜日)
- 官報第1395号 大正6年3月29日(木曜日)
- 官報第1422号 大正6年5月1日(火曜日)
- 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- 官報第2930号 大正11年5月11日(木曜日)
- 官報第3206号 大正12年4月11日(水曜日)
- 官報第224号 昭和2年9月26日(月曜日)
- 官報第602号 昭和3年12月29日(土曜日)
- 官報第1732号 昭和7年10月6日(木曜日)
- 官報第2490号 昭和10年4月24日(水曜日)
- 官報第3053号 昭和12年3月10日(水曜日)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- 官報第4515号 昭和17年1月29日(木曜日)