前田治
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- まえだ おさむ
- 前田 治
- 陸軍中将正四位勲二等
- 砲兵
- 士候19 陸大32
- 兵庫県
- 明治20年4月27日 - 昭和15年5月21日病没
経歴
明治20年4月27日 | 生 |
明治40年5月31日 | 陸軍士官学校卒業(士候19) |
明治40年12月26日 | 任陸軍砲兵少尉 |
大正6年12月10日 | 陸軍大学校入学 |
大正9年11月22日 | 陸軍大学校卒業(第32期) |
昭和6年8月1日 | 陸軍砲兵大佐・野砲兵第3聯隊長 |
昭和7年11月22日 | 陸軍重砲兵学校教官 |
昭和8年10月16日 | 砲兵監部部員 |
昭和9年8月1日 | 陸軍省兵器局銃砲課長 |
昭和10年12月2日 | 陸軍重砲兵学校幹事 |
昭和11年3月7日 | 陸軍少将 |
昭和12年3月1日 | 野戦重砲兵第2旅団長 |
昭和13年3月1日 | 陸軍造兵廠総務部長 |
昭和13年7月15日 | 陸軍野戦砲兵学校長 |
昭和14年3月9日 | 陸軍中将・第35師団長 |
昭和15年5月21日[1] | 病没 |
栄典
明治41年3月20日 | 叙正八位 |
明治44年2月10日 | 叙従七位 |
大正5年4月21日 | 叙正七位 |
大正10年6月30日 | 叙従六位 |
大正15年8月2日 | 叙正六位 |
昭和3年12月28日 | 勲四等瑞宝章[2] |
昭和6年9月15日 | 叙従五位 |
昭和9年2月7日 | 勲三等瑞宝章[3] |
昭和14年4月13日 | 勲二等瑞宝章[4] |
昭和15年5月21日 | 卒去 叙正四位(特旨) |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第7418号 明治41年3月23日(月曜日)
- 官報第8290号 明治44年2月13日(月曜日)
- 官報第1115号 大正5年4月22日(土曜日)
- 官報第2675号 大正10年7月1日(金曜日)
- 官報第4197号 大正15年8月19日(木曜日)
- 官報第1434号 昭和6年10月8日(木曜日)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、故陸軍中将前田治位階追陞ノ件(国立公文書館)」Ref.A11114906400
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に5月23日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第602号 昭和3年12月29日(土曜日)
- ↑ 官報第2130号 昭和9年2月9日(金曜日)
- ↑ 官報第3682号 昭和14年4月17日(月曜日)