加藤丈
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- かとう つかさ
- 加藤 丈
- 陸軍少将従四位勲三等功三級
- 歩兵
- 高知県士族
- 安政5年12月 - 昭和4年3月
経歴
安政5年12月 | 生 |
明治13年5月7日 | 任陸軍歩兵少尉[1] |
明治18年5月27日 | 任陸軍歩兵中尉[1] |
明治25年2月5日 | 任陸軍歩兵大尉[1] |
明治32年4月17日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治37年11月16日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
近衛歩兵第4聯隊附 | |
明治40年2月13日 | 補歩兵第52聯隊長[2] |
明治40年11月13日 | 任陸軍歩兵大佐[1] |
大正2年8月22日 | 任陸軍少将 予備被仰付[3] |
大正8年4月1日 | 退役[4] |
昭和4年3月 | 卒去 |
栄典
明治27年5月29日 | 勲六等瑞宝章[5] |
明治29年5月25日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 単光旭日章[6] |
明治30年8月20日 | 叙従六位[7] |
明治37年11月29日 | 勲四等瑞宝章[8] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[9] |
明治40年12月27日 | 叙従五位[10] |
明治41年12月1日 | 賜金280円 (明治四十年四十一年韓国暴徒鎮圧事件の功)[11] |
明治42年4月16日 | 大韓帝国勲二等八卦章佩用允許[12] |
明治43年8月28日 | 大韓帝国勲二等太極章佩用允許[13] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[14] |
大正2年9月20日 | 叙従四位(特旨)[15] |
昭和4年3月27日 | 卒去ニ付幣帛ヲ下賜セラル[16] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第7085号 明治40年2月14日(木曜日)
- ↑ 官報第321号 大正2年8月23日(土曜日)
- ↑ 官報第2006号 大正8年4月14日(月曜日)
- ↑ 官報第3273号 明治27年5月30日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治29年6月11日(木曜日)
- ↑ 官報第4242号 明治30年8月21日(土曜日)
- ↑ 官報第6426号 明治37年11月30日(水曜日)
- ↑ 官報第7035号 明治39年12月10日(月曜日)
- ↑ 官報第7352号 明治40年12月28日(土曜日)
- ↑ 官報第7808号 明治42年7月6日(火曜日)
- ↑ 官報第7743号 明治42年4月21日(水曜日)
- ↑ 官報第8358号 明治44年5月5日(金曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第346号 大正2年9月22日(月曜日)
- ↑ 官報第672号 昭和4年3月29日(金曜日)