加藤貞次郎
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- かとう ていじろう
- 加藤貞次郎
- 陸軍主計少将従四位勲三等功四級
- 経理部
- 岡山県
- 文久3年3月31日 - 昭和15年8月
経歴
文久3年3月31日 | 生 |
明治16年6月 | 陸軍教導団卒業 |
明治24年7月29日 | 任陸軍三等軍吏[1] |
明治27年12月24日 | 任陸軍二等軍吏[1] |
明治30年10月25日 | 任陸軍一等軍吏[1] |
明治32年6月9日 | 任陸軍監督補(転科)[1] |
明治35年11月15日 | 任陸軍三等監督[1] |
明治36年12月1日 | 陸軍三等主計正[1](階級呼称変更) |
明治38年4月22日 | 任陸軍二等主計正[1] |
明治40年9月17日 | 陸軍省経理局衣糧課長 |
明治41年12月21日 | 任陸軍一等主計正[1] |
大正3年5月11日 | 任陸軍主計監[2]・千住製絨所長 |
大正6年10月8日 | 依願予備役被仰付[3][2] |
大正13年4月1日 | 後備役[2] |
昭和3年4月1日 | 退役[4] |
昭和12年2月15日 | 陸軍主計少将(階級呼称変更) |
昭和15年8月 | 卒去 |
栄典
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[5] |
明治28年12月20日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章[6] |
明治30年12月15日 | 叙正七位[7] |
明治36年2月20日 | 叙従六位[8] |
明治36年5月16日 | 勲五等瑞宝章[9] |
明治38年5月26日 | 叙正六位[10] |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[11] |
明治41年10月2日 | 大韓帝国勲三等太極章[12] |
明治42年3月1日 | 叙従五位[13] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[14] |
大正3年4月30日 | 叙正五位[15] |
大正3年5月16日 | 勲三等瑞宝章[16] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[17] |
大正6年10月20日 | 叙従四位(特旨)[18] |
大正15年時点 | ロシア帝国聖スタニスラス第一等勲章[2] |
昭和15年8月29日 | 卒去ニ付幣帛ヲ下賜セラル[19] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- ↑ 官報第1557号 大正6年10月9日(火曜日)
- ↑ 官報第400号 昭和3年5月1日(火曜日)
- ↑ 官報第3957号 明治29年9月4日(金曜日)
- ↑ 官報第3749号 明治28年12月25日(水曜日)
- ↑ 官報第4341号 明治30年12月18日(土曜日)
- ↑ 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- ↑ 官報第5960号 明治36年5月18日(月曜日)
- ↑ 官報第6572号 明治38年5月30日(火曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第7586号 明治41年10月7日(水曜日)
- ↑ 官報第7701号 明治42年3月2日(火曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第525号 大正3年5月1日(金曜日)
- ↑ 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- ↑ 官報第1333号 大正6年1月15日(月曜日)
- ↑ 官報第1567号 大正6年10月22日(月曜日)
- ↑ 官報第4096号 昭和15年8月30日(金曜日)