原口兼濟
ナビゲーションに移動
検索に移動
- はらぐち けんさい
- 原口兼濟
- 陸軍中将従二位勲一等功三級男爵
- 歩兵
- 大分県華族[1]
- 弘化4年2月17日 - 大正8年6月18日
経歴
弘化4年2月17日 | 生 |
明治5年3月16日 | 任陸軍少尉 |
明治24年12月26日 | 陸軍歩兵大佐・陸軍戸山学校長 |
明治26年6月14日 | 近衛歩兵第1聯隊長 |
明治27年8月11日 | 第4師団参謀長 |
明治29年9月25日 | 補陸軍戸山学校長 |
明治30年9月28日 | 陸軍少将・歩兵第20旅団長 |
明治31年10月1日 | 台湾守備混成第1旅団長 |
明治33年5月30日 | 歩兵第17旅団長 |
明治36年7月2日 | 休職 |
明治37年3月16日 | 韓国駐箚軍司令官 |
明治37年9月8日 | 大本営附 |
明治37年10月27日 | 教育総監部参謀長 |
明治38年1月14日 | 陸軍中将 |
明治38年2月5日 | 第13師団長 |
明治38年4月1日 | 留守第1師団長 |
明治39年7月6日 | 休職 |
明治40年11月13日 | 予備役 |
明治42年4月1日 | 後備役 |
明治43年8月 | 貴族院議員(男爵議員、~大正7年7月) |
大正3年4月1日 | 退役 |
大正8年6月18日 | 薨去 |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治25年11月29日 | 勲三等瑞宝章 |
明治32年11月10日 | 勲二等瑞宝章 |
明治38年6月9日 | 叙正四位 |
明治38年11月30日 | 勲一等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章[2] |
明治40年9月21日 | 男爵 |
明治40年12月10日 | 叙従三位 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[3] |
大正5年4月1日 | 賜金1500円(大正三四年事件の功)[4] |
大正6年12月20日 | 叙正三位[5] |
大正8年6月18日 | 薨去 叙従二位(特旨) |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- 官報第3976号 明治29年9月28日(月曜日)
- 官報第503号 大正3年4月6日(月曜日)
- 官報第2063号 大正8年6月20日(金曜日)
- ↑ 明治36年停年名簿では「東京、士」
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)
- ↑ 官報第1617号 大正6年12月21日(金曜日)