塩澤清宣
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- しおざわ きよのぶ
- 塩澤清宣
- 陸軍中将
- 歩兵
- 士候26 陸大37
- 長野県
- 明治25年2月19日 - 昭和44年7月18日
経歴
明治25年2月19日 | 生 |
大正3年5月28日 | 陸軍士官学校卒業(士候26) |
大正3年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正11年12月14日 | 陸軍大学校入学 |
大正14年11月27日 | 陸軍大学校卒業(第37期) |
昭和4年8月1日 | 陸軍歩兵少佐 |
昭和7年12月7日 | 関東軍参謀(第3課) |
昭和9年3月5日 | 陸軍歩兵中佐 |
昭和10年8月1日 | 関東憲兵隊司令部警備課長 |
昭和12年8月2日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第18聯隊長 |
昭和12年8月14日 | 奉天特務機関長 |
昭和12年12月2日 | 中支那方面軍司令部附 |
昭和13年2月18日 | 中支那派遣軍特務部部員 |
昭和13年12月16日 | 興亜院政務部第2課長 |
昭和15年3月9日 | 陸軍少将 |
昭和15年4月11日 | 興亜院華北連絡部次長 |
昭和16年3月1日 | 興亜院華北連絡部長官心得 |
昭和17年11月1日 | 大東亜省特命全権公使(北京駐在) |
昭和18年6月10日 | 陸軍中将 |
昭和19年10月14日 | 第119師団長 |
シベリア抑留 | |
昭和31年12月 | 復員 |
昭和44年7月18日 | 死去 |
栄典
昭和8年10月5日 | 勲四等瑞宝章[1] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)