大迫尚道
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- おおさこ なおみち
- 大迫尚道
- 陸軍大将従二位勲一等功二級
- 砲兵
- 士官生徒2
- 鹿児島県
- 嘉永7年7月25日 - 昭和9年9月12日
経歴
嘉永7年7月25日 | 生 |
明治8年 | 陸軍士官学校入校 |
明治12年2月1日 | 任陸軍少尉 |
明治24年12月15日 | 独国公使館附 |
明治26年7月22日 | 陸軍大学校教官 |
明治27年9月1日 | 第1軍参謀 |
明治28年7月19日 | 野砲兵第3聯隊長 |
明治29年10月15日 | 補第5師団参謀長[1] |
明治31年12月23日 | 補第4師団参謀長[2][3] |
明治34年6月28日 | 陸軍少将・野砲兵第2旅団長 |
明治37年9月12日 | 第2軍参謀長 |
明治39年2月6日 | 野戦砲兵監 |
明治40年10月9日 | 野砲兵監 |
明治40年11月13日 | 陸軍中将 |
明治43年11月30日 | 第18師団長 |
大正1年12月26日 | 第4師団長 |
大正4年2月15日 | 軍事参議官 |
大正4年8月10日 | 陸軍大将 |
大正8年7月25日 | 後備役 |
昭和9年9月12日 | 薨去 |
栄典
明治13年2月28日 | 叙正八位 |
明治16年4月17日 | 叙従七位 |
明治19年11月27日 | 叙正七位[4] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[5] |
明治24年12月28日 | 叙従六位 |
明治25年5月28日 | 勲六等瑞宝章 |
明治28年3月28日 | 叙正六位 |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章 単光旭日章[6] |
明治29年11月25日 | 勲五等瑞宝章[7] |
明治30年10月30日 | 叙従五位 |
明治34年9月30日 | 叙正五位 |
明治35年5月31日 | 勲四等瑞宝章 |
明治38年5月30日 | 勲三等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[8] |
明治39年11月10日 | 叙従四位 |
明治43年12月27日 | 叙正四位 |
大正3年1月20日 | 叙従三位 |
大正3年5月16日 | 勲一等瑞宝章 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[9] |
大正6年2月10日 | 叙正三位[10] |
大正7年11月29日 | 旭日大綬章 |
大正9年9月20日 | 叙従二位 |
大正9年11月1日 | 金杯一組 大正三年乃至九年戦役従軍記章[11] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3993号 明治29年10月19日(月曜日)
- 官報第442号 大正3年1月21日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に10月14日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第4647号 明治31年12月24日(土曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治32年4月17日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第1033号 明治19年12月8日(水曜日)
- ↑ 官報第1948号 明治22年12月24日(火曜日)
- ↑ 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- ↑ 官報第4027号 明治29年11月30日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1357号 大正6年2月12日(月曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)