大野賢一郎
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- おおの けんいちろう
- 大野賢一郎
- 陸軍主計中将従四位勲三等功四級
- 経理部
- 士官生徒6 陸大5
- 東京都
- 文久2年2月 - 昭和17年9月20日
経歴
文久2年2月 | 生 |
明治16年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治20年1月31日 | 陸軍大学校入学 |
明治20年4月27日 | 任陸軍歩兵中尉[1] |
明治22年12月9日 | 陸軍大学校卒業(第5期) |
明治26年11月21日 | 任陸軍監督補[1] |
明治31年10月1日 | 任陸軍三等監督[1] |
第1師団監督部第2課長 | |
明治33年2月1日 | 補第1師団監督部第1課長 |
兼陸軍経理学校教官 | |
明治34年4月15日 | 台湾陸軍経理部長心得被仰付 |
明治35年11月15日 | 任陸軍二等監督[1]・台湾陸軍経理部長 |
明治36年11月18日 | 補第1師団経理部長[2] |
明治36年12月1日 | 陸軍二等主計正(階級呼称変更)[1] |
明治38年4月22日 | 任陸軍一等主計正[1]・陸軍経理学校長 |
明治42年8月12日 | 任陸軍主計少将[1] 補第4師団経理部長[3][4][5] |
大正3年5月11日 | 待命被仰付[4][5] |
大正3年8月8日 | 任陸軍主計総監 予備役[6] |
大正14年4月1日 | 後備役[6] |
昭和4年4月1日 | 退役[7] |
昭和12年2月15日 | 陸軍主計中将(階級呼称変更) |
昭和17年9月20日 | 卒去[8] |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[9] |
明治28年10月31日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章[10] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[11] |
明治31年10月31日 | 叙従六位[12] |
明治34年11月30日 | 勲五等瑞宝章[13] |
明治38年5月26日 | 叙従五位[14] |
明治38年11月30日 | 勲四等瑞宝章[15] |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[16] |
明治42年10月20日 | 叙正五位[17] |
大正3年9月1日 | 叙従四位(特旨)[18] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[19] |
大正7年8月6日 | 中華民国二等文虎勲章佩用允許[20] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[21] |
昭和17年9月20日 | 卒去[8] |
昭和17年10月8日 | 卒去ニ付幣帛ヲ下賜セラル[22] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第4973号 明治33年2月2日(金曜日)
- 官報第5332号 明治34年4月16日(火曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第6116号 明治36年11月19日(木曜日)
- ↑ 官報第7841号 明治42年8月13日(金曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第534号 大正3年5月12日(火曜日)
- ↑ 5.0 5.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に第1師団経理部長とあるが誤り。
- ↑ 6.0 6.1 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和2年4月1日調
- ↑ 官報第697号 昭和4年4月30日(火曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第4790号 昭和17年12月29日(火曜日)
- ↑ 官報号外 明治22年12月29日(日曜日)
- ↑ 官報第3708号 明治28年11月6日(水曜日)
- ↑ 官報第3953号 明治29年8月31日(月曜日)
- ↑ 官報第4603号 明治31年11月1日(火曜日)
- ↑ 官報第5525号 明治34年12月2日(月曜日)
- ↑ 官報第6572号 明治38年5月30日(火曜日)
- ↑ 官報第6728号 明治38年12月2日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第7899号 明治42年10月21日(木曜日)
- ↑ 官報第627号 大正3年9月2日(水曜日)
- ↑ 官報第1345号 大正6年1月29日(月曜日)
- ↑ 官報第1804号 大正7年8月7日(水曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 官報第4726号 昭和17年10月9日(金曜日)