奥保鞏
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- おく やすかた
- 奥 保鞏
- 元帥陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵
- 歩兵
- 福岡県
- 弘化3年11月19日 - 昭和5年7月19日
経歴
弘化3年11月19日 | 生 |
明治5年4月18日 | 任陸軍大尉(初任) |
明治7年6月29日 | 任陸軍少佐 |
明治10年4月20日 | 歩兵第14聯隊長心得 |
明治11年11月21日 | 任陸軍中佐 |
明治11年12月9日 | 歩兵第14聯隊長 |
明治12年4月28日 | 歩兵第10聯隊長 |
明治15年2月6日 | 任陸軍歩兵大佐 |
明治15年2月13日 | 近衛歩兵第2聯隊長 |
明治18年5月21日 | 任陸軍少将・歩兵第7旅団長 |
明治19年7月10日 | 近衛歩兵第1旅団長 |
明治24年6月13日 | 東宮武官長 |
明治25年1月4日 | 兼東宮大夫 |
明治26年11月10日 | 近衛歩兵第2旅団長 |
明治27年2月24日 | 欧洲出張 |
明治27年9月10日 | 帰朝 |
明治27年11月29日 | 任陸軍中将・第5師団長(日清戦争) |
明治29年10月14日 | 第1師団長 |
明治30年10月27日 | 近衛師団長 |
明治31年1月14日 | 東京防禦総督 |
明治33年4月25日 | 東部都督 |
明治35年10月8日 | 英領印度に差遣 |
明治36年3月10日 | 帰朝 |
明治36年11月3日 | 陸軍大将 |
明治37年1月14日 | 軍事参議官 |
明治37年3月6日 | 第2軍司令官 |
明治39年1月12日 | 軍事参議官 |
明治39年7月30日 | 参謀総長 |
明治44年10月24日 | 元帥 |
明治45年1月20日 | 免本職(参謀総長) |
明治45年2月24日 | 補議定官[1] |
昭和5年7月19日 | 薨去 叙従一位 |
栄典
明治11年1月31日 | 勲四等旭日小綬章 |
明治18年4月7日 | 勲三等旭日中綬章 |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治26年5月26日 | 勲二等瑞宝章 |
明治28年8月20日 | 男爵 功三級金鵄勲章 授旭日重光章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治33年5月31日 | 勲一等瑞宝章 |
明治35年8月20日 | 叙正三位 |
明治38年5月30日 | 授旭日大綬章 |
明治39年4月1日 | 功一級金鵄勲章(年金1500円) 授旭日桐花大綬章 明治三十七八年従軍記章[2] |
明治40年9月21日 | 伯爵 |
明治44年10月24日 | 元帥 |
大正3年9月10日 | 叙正二位 |
大正4年11月7日 | 金杯一組 大正三四年従軍記章[3] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[4] |
大正9年11月1日 | 金杯一組 大正三年乃至九年戦役従軍記章[5] |
大正14年1月14日 | 御紋付銀杯 |
昭和3年11月10日 | 大勲位菊花大綬章[6] 大礼記念章 |
昭和5年7月19日 | 薨去 叙従一位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第5740号 明治35年8月21日(木曜日)
- 官報号外 昭和3年11月10日(土曜日)
- 奥保鞏 - Wikipedia
- ↑ 官報第8603号 明治45年2月26日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第1187号 大正5年7月15日(土曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に12月2日とあるのは誤り。
カテゴリ:
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