奥山義章
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- おくやま よしあき
- 奥山義章
- 陸軍少将正五位勲三等功三級
- 歩兵
- 愛媛県士族
- 嘉永3年11月29日 - 明治45年7月6日
経歴
嘉永3年11月29日 | 生 |
明治5年 | 陸軍教導団入・陸軍軍曹[1] |
明治10年4月15日 | 任陸軍少尉 |
明治13年5月6日 | 任陸軍歩兵中尉 |
明治17年7月9日 | 任陸軍歩兵大尉[2] |
歩兵第4聯隊中隊長 | |
明治24年12月10日 | 福島大隊区司令官心得被仰付 |
明治25年3月14日 | 任陸軍歩兵少佐 補歩兵第21聯隊附[3] |
明治27年8月2日 | 補歩兵第21聯隊第3大隊長[4] |
明治28年12月12日 | 補第5師団副官[5] |
明治31年10月1日 | 任陸軍歩兵中佐[6][7] 補台湾守備歩兵第4大隊長[6] |
明治32年2月25日 | 補第5師団司令部附被仰付[8] |
明治32年8月30日 | 補尾道聯隊区司令官[9] |
明治36年11月10日 | 補大阪聯隊区司令官[10] |
明治36年12月1日 | 任陸軍歩兵大佐 後備役編入[11] |
明治38年 | 第4軍兵站監[12] |
明治39年4月11日 | 任陸軍少将[13][14] |
明治42年4月1日 | 退役[15] |
明治45年7月6日 | 卒去(脳溢血)[1] |
栄典
明治11年8月28日 | 勲六等単光旭日章[1] |
明治17年8月30日 | 叙正七位[16] |
明治18年4月7日 | 勲五等双光旭日章[17] |
明治25年4月1日 | 叙従六位[18] |
明治26年11月29日 | 勲四等瑞宝章[19] |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 授旭日小綬章[20] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[21] |
明治30年7月10日 | 叙正六位[22] |
明治34年3月30日 | 賜金250円 (台湾守備ノ戦功)[23] |
明治34年12月28日 | 賜金650円 (明治三十三年清国事変ノ功)[24] |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[25] |
明治37年2月10日 | 叙正五位(特旨)[26] |
勲三等瑞宝章 | |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 授旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[27] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 1.2 大植四郎編『国民過去帳 明治之巻』(尚古房、昭和10年)
- ↑ 官報第328号 明治17年8月1日(金曜日)
- ↑ 官報第2609号 明治25年3月15日(火曜日)
- ↑ 官報第3330号 明治27年8月4日(土曜日)
- ↑ 官報第3745号 明治28年12月20日(金曜日)
- ↑ 以下の位置に戻る: 6.0 6.1 官報第4579号 明治31年10月3日(月曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 官報第4694号 明治32年2月27日(月曜日)
- ↑ 官報第4851号 明治32年8月31日(木曜日)
- ↑ 官報第6109号 明治36年11月11日(水曜日)
- ↑ 官報第6126号 明治36年12月2日(水曜日)
- ↑ 古川宣譽少将と重複する古川少将が明治37年、奥山が明治38年だろうか
- ↑ 官報第6832号 明治39年4月12日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治39年4月11日後備役とあるのは誤り。召集解除か
- ↑ 官報第7736号 明治42年4月13日(火曜日)
- ↑ 官報第383号 明治17年10月6日(月曜日)
- ↑ 官報第557号 明治18年5月13日(水曜日)
- ↑ 官報第2625号 明治25年4月2日(土曜日)
- ↑ 官報第3131号 明治26年12月5日(火曜日)
- ↑ 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- ↑ 官報第3904号 明治29年7月4日(土曜日)
- ↑ 官報第4207号 明治30年7月12日(月曜日)
- ↑ 官報第5328号 明治34年4月11日(木曜日)
- ↑ 官報第5613号 明治35年3月25日(火曜日)
- ↑ 官報第5878号 明治36年2月9日(月曜日)
- ↑ 官報第6181号 明治37年2月12日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月6日(木曜日)