古川宣譽
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- ふるかわ のぶよし
- 古川宣譽
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 工兵
- 草創期
- 静岡県士族
- 嘉永2年3月10日 - 大正10年10月18日
経歴
嘉永2年3月10日 | 生 |
明治2年9月 | 沼津兵学校入(資業生第3期)[1] |
明治5年5月 | 陸軍教導団編入[1] |
明治5年11月 | 陸軍少尉心得[2] |
明治6年5月31日 | 任陸軍少尉[3] |
明治6年12月23日 | 任陸軍中尉[3] |
明治10年6月14日 | 任陸軍大尉[3] |
明治16年2月6日 | 任陸軍工兵少佐[3] |
明治22年11月2日 | 任陸軍工兵中佐[3]・陸軍幼年学校長 |
明治23年8月25日 | 陸軍省軍務局工兵事務課長 |
明治25年7月1日 | 工兵第1方面本署長 |
明治26年11月1日 | 任陸軍工兵大佐[3] |
明治26年12月18日 | 工兵会議議長 |
明治27年10月9日 | 第2軍工兵部長兼兵站監 |
明治30年9月28日 | 任陸軍少将[3] |
明治34年5月22日 | 休職[3] |
明治37年6月24日 | 第4軍兵站監 |
明治39年3月5日 | 任陸軍中将 予備被仰付[4][5] |
明治40年4月1日 | 後備役[4] |
明治45年4月1日 | 退役[1] |
大正10年10月18日 | 卒去[6] |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
勲四等瑞宝章 | |
明治28年9月20日 | 功四級金鵄勲章 授旭日小綬章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治30年10月30日 | 叙正五位 |
明治33年11月30日 | 勲三等瑞宝章[7] |
明治39年1月11日 | 叙従四位[8] |
明治39年3月13日 | 叙正四位(特旨)[9][4] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[10] |
ペルシア帝国三等獅子太陽勲章[4] | |
トルコメジディエ第四等勲章[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 古川宣誉 - Wikipedia
- ↑ 静岡県出身陸軍々人:軍人顕彰会
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治44年7月1日調査
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治39年3月5日に後備役とあるのは誤り。
- ↑ 官報第313号 昭和3年1月17日(火曜日)
- ↑ 官報第5226号 明治33年12月1日(土曜日)
- ↑ 官報第6760号 明治39年1月15日(月曜日)
- ↑ 官報第6810号 明治39年3月15日(木曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)