安村範雄
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経歴
安政1年4月11日 | 生[1][2] |
明治5年 | 陸軍教導団入[1] |
明治7年 | 陸軍士官学校入[1] |
明治8年1月28日 | 任陸軍少尉[4] |
明治10年6月16日 | 任陸軍歩兵中尉[4] |
明治16年6月23日 | 任陸軍歩兵大尉[4] |
明治22年12月11日 | 任陸軍歩兵少佐[4] |
明治30年12月9日 | 任陸軍歩兵中佐[4] 補台湾守備歩兵第6聯隊長[5] |
明治31年10月1日 | 補台湾守備歩兵第11大隊長[6] |
明治32年2月7日 | 補歩兵第32聯隊長[7][8] |
明治33年10月31日 | 任陸軍歩兵大佐[4] |
明治35年9月30日 | 休職 |
明治36年8月8日 | 補歩兵第39聯隊長[9] |
明治37年10月12日 | 清国盛京省三塊石に於て戦死[3][10] 任陸軍少将[11] |
明治38年4月24日 | 靖国神社に合祀 |
栄典
明治16年7月16日 | 叙正七位[12] |
明治18年4月7日 | 勲五等双光旭日章[13] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[14] |
明治24年12月28日 | 叙従六位[15] |
明治26年5月26日 | 勲四等瑞宝章[16] |
明治29年3月30日 | 授旭日小綬章 年金180円[17] |
明治30年3月1日 | 叙正六位[18] |
明治33年11月30日 | 勲三等瑞宝章[19] |
明治34年3月11日 | 叙従五位[20] |
明治34年3月30日 | 賜金300円(台湾守備の戦功)[21] |
明治37年10月12日 | 叙正五位[22] 功三級金鵄勲章(年金700円) 授旭日中綬章[23] |
明治38年2月24日 | 遺族安村加津に賜金4000円 |
明治39年4月1日 | 遺族安村光亨に明治三十七八年従軍記章[24] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 人事興信録 初版(明36.4刊)
- ↑ 2.0 2.1 2.2 人事興信録 初版(明36.4刊)に安政1年4月11日となっているが、安政1年は11月28日から12月30日までなので嘉永7年4月11日を安政1年4月11日と表記しているのだろうか。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 官報第6700号 明治38年10月27日(金曜日)
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 5.0 5.1 官報第4335号 明治30年12月11日(土曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第4579号 明治31年10月3日(月曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第4680号 明治32年2月9日(木曜日)
- ↑ 8.0 8.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に「32・2・8」とあるのは誤り。
- ↑ 9.0 9.1 官報第6032号 明治36年8月10日(月曜日)
- ↑ 10.0 10.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に「37・10・11」とあるのは誤り。
- ↑ 11.0 11.1 官報第6674号 明治38年9月26日(火曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第47号 明治16年8月24日(金曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第535号 明治18年4月17日(金曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第1947号 明治22年12月23日(月曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第2551号 明治25年1月4日(月曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第2974号 明治26年5月31日(水曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報号外 明治29年4月16日(木曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第4096号 明治30年3月2日(火曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第5226号 明治33年12月1日(土曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第5304号 明治34年3月12日(火曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第5328号 明治34年4月11日(木曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第7093号 明治40年2月23日(土曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第6406号 明治37年11月5日(土曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第7430号 明治41年4月7日(火曜日)