小倉陸軍病院
(小倉衛戍病院から転送)
陸軍病院長
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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村中 達 二軍正 | 明治30年3月31日 | |||
(心)長尾 半 三軍正 | 明治41年11月27日 | 明治41年12月21日 | 陸軍二等軍医正・小倉衛戍病院長 | |
長尾 半 二軍正 | 明治41年12月21日 | 明治44年6月15日 | 遼陽衛戍病院長 | |
島田乾三郎 二軍正 | 大正6年2月23日 | 待命 | ||
關 郁郎 二軍正 | 大正6年2月23日 | 大正8年12月20日 | 第16師団軍医部長 | 大正9年8月10日陸軍一等軍医正進級 |
鈴木久之進 二軍正 | 大正8年12月20日 | 大正10年4月1日 | 小倉衛戍病院附 | |
高岡 榮 一軍正 | 大正10年4月1日 | 大正13年4月15日 | 第16師団軍医部長 | |
關 郁郎 軍医監 | 大正13年4月15日 | 大正14年3月18日 | 第6師団軍医部長 | |
飯塚助治 一軍正 | 昭和8年8月1日 | 昭和9年8月1日 | ||
衞藤 恰二軍正 | 昭和9年8月1日 | 昭和11年3月7日 | 久留米衛戍病院長 | 昭和10年8月1日陸軍一等軍医正進級 |
西村福太郎 二軍正 | 昭和11年3月7日 | 昭和11年8月1日陸軍一等軍医正進級 | ||
樋口四郎 軍大佐 | 昭和19年7月5日 | 第34軍軍医部長 | ||
安田常男 軍中佐 | 昭和19年7月5日 | 昭和20年7月3日 | 熊本第2陸軍病院長 | 昭和19年8月1日陸軍軍医大佐進級 |
鵜澤修一 軍大佐 | 昭和20年7月3日 |
附
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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岡本晴一 三軍正 | 大正5年11月15日 | |||
鈴木久之進 二軍正 | 大正10年4月1日 | 大正11年2月8日 | 陸軍一等軍医正・第13師団軍医部長 | |
竹内雅休 三軍正 | 大正11年11月1日 | 陸軍軍医学校附 | ||
大野久次郎 二軍正 | 大正11年2月8日 | |||
國友 國 一軍正 | 大正12年8月6日 | 大正13年8月20日 | 高田衛戍病院長 | |
早田 薫 軍中佐 | 昭和19年1月7日 | 第28軍軍医部部員 | ||
村尾敏雄 軍少佐 | 昭和19年3月20日 | 済南陸軍病院附 | ||
太田彌石 軍少佐 | 昭和19年3月30日 | |||
辻 理也 軍少佐 | 昭和19年8月11日 | |||
小松 巖 軍大尉 | 昭和19年9月4日 | |||
田中省吾 予軍大尉 | 昭和19年9月4日 | |||
植村 肇 軍少佐 | 昭和19年12月30日 | |||
本庄俊雄 軍少佐 | 昭和20年1月29日 | 西部軍管区軍医部部員 兼第16方面軍軍医部部員 |
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松山晃夫 軍少佐 | 昭和20年4月3日 | 第156師団軍医部部員 | ||
岩本政雄 軍中佐 | 昭和20年7月3日 | 大刀洗陸軍病院長 | ||
堀口修輔 軍少将 | 昭和20年11月29日 | 高崎陸軍病院長 | ||
小泉万次郎 軍中佐 | 昭和20年11月29日 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正6年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正12年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 : 索引付. 昭和8年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和11年9月1日調
- 官報第2855号 大正11年2月9日(木曜日)
- 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター),第130号 昭和19年7月8日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120913500
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第151号 昭和20年7月3日 陸軍異動通報 (防衛省防衛研究所)」Ref.C12120962300