小林信男
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- こばやし のぶお
- 小林信男
- 陸軍中将功四級
- 砲兵
- 士候22
- 茨城県
- 明治21年10月21日 - 昭和26年10月16日
経歴
明治21年10月21日 | 生 |
明治43年5月28日 | 陸軍士官学校卒業(士候22) |
明治43年12月26日 | 任陸軍砲兵少尉 |
昭和10年8月1日 | 陸軍砲兵大佐・陸軍野戦砲兵学校教官 |
昭和12年8月2日 | 支那駐屯砲兵聯隊長 |
昭和13年7月15日 | 山砲兵第27聯隊長 |
昭和13年12月10日 | 陸軍少将・陸軍野戦砲兵学校幹事 |
昭和15年3月28日 | 野戦重砲兵第2旅団長[1] |
昭和16年8月25日 | 陸軍中将 |
昭和17年4月1日 | 第60師団長 |
昭和20年6月1日 | 補東海軍管区司令部附 |
昭和20年6月15日 | 補第54軍司令官(親補) |
昭和26年10月16日 | 死去 |
栄典
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
昭和16年4月11日 | 勲二等瑞宝章[2] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第127号 昭和20年6月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120944100
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第139号 昭和20年6月16日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120961100
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和16年7月13日陸軍兵器学校長とあるのは誤りか
- ↑ 官報第4280号 昭和16年4月16日(水曜日)