小池安之
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- こいけ やすゆき
- 小池安之
- 陸軍中将正三位勲二等功三級
- 歩兵
- 士官生徒8 陸大9
- 茨城県
- 元治1年3月21日 - 昭和6年10月11日
経歴
元治1年3月21日 | 生 |
明治19年6月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治23年11月23日 | 陸軍大学校入学 |
明治26年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第9期) |
明治37年6月20日 | 満洲軍参謀 |
明治38年12月20日 | 参謀本部部員 |
明治39年9月9日 | 補歩兵第28聯隊長 |
明治40年11月13日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治41年4月29日 | 補第7師団参謀長 |
明治44年9月6日 | 陸軍少将・歩兵第12旅団長 |
大正1年11月27日 | 独立守備隊司令官 |
大正3年11月26日 | 近衛歩兵第2旅団長 |
大正5年3月24日 | 憲兵司令官 |
大正5年5月2日 | 陸軍中将 |
大正7年6月10日 | 第6師団長 |
大正10年6月28日 | 依願予備役被仰付[1] |
昭和2年4月1日 | 後備役 |
昭和6年10月11日 | 死去 |
栄典
明治19年11月27日 | 叙正八位[2] |
明治24年12月28日 | 叙従七位[3] |
明治28年3月28日 | 叙正七位[4] |
明治28年10月19日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章[5] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治33年3月31日 | 叙従六位[6] |
明治34年11月30日 | 勲五等瑞宝章[7] |
明治37年11月1日 | 叙正六位[8] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治40年4月8日 | 大清帝国二等第二双龍宝星佩用允許[9] |
明治40年12月27日 | 叙従五位[10] |
明治44年10月20日 | 叙正五位[11] |
大正4年2月26日 | 勲二等瑞宝章[12] |
大正5年6月10日 | 叙従四位[13] |
大正7年6月29日 | 叙正四位[14] |
大正9年11月1日 | 大正三年乃至九年戦役従軍記章[15] |
大正10年6月28日 | 叙従三位[1] |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[16] |
大正10年7月11日 | 叙正三位(特旨)[17] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3933号 明治29年8月7日(金曜日)
- 官報第6961号 明治39年9月10日(月曜日)
- 官報号外 明治39年12月7日(金曜日)
- 官報第7450号 明治41年4月30日(木曜日)
- 官報第1455号 昭和6年11月4日(水曜日)
- ↑ 1.0 1.1 官報第2673号 大正10年6月29日(水曜日)
- ↑ 官報第1034号 明治19年12月9日(木曜日)
- ↑ 官報第2551号 明治25年1月4日(月曜日)
- ↑ 官報第3521号 明治28年3月29日(金曜日)
- ↑ 官報第3694号 明治28年10月21日(月曜日)
- ↑ 官報第5046号 明治33年5月1日(火曜日)
- ↑ 官報第5525号 明治34年12月2日(月曜日)
- ↑ 官報第6417号 明治37年11月18日(金曜日)
- ↑ 官報第7200号 明治40年7月1日(月曜日)
- ↑ 官報第7352号 明治40年12月28日(土曜日)
- ↑ 官報第8502号 明治44年10月21日(土曜日)
- ↑ 官報第770号 大正4年2月27日(土曜日)
- ↑ 官報第1158号 大正5年6月12日(月曜日)
- ↑ 官報第1773号 大正7年7月1日(月曜日)
- ↑ 官報第3008号 大正11年8月10日(木曜日)
- ↑ 官報第2858号 大正11年2月14日(火曜日)
- ↑ 官報第2684号 大正10年7月12日(火曜日)