小泉正保
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- こいずみ まさやす
- 小泉正保
- 陸軍中将正三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士官生徒1
- 茨城県
- 安政2年3月13日 - 大正6年10月23日
経歴
安政2年3月13日 | 生 |
明治8年2月 | 陸軍士官学校入 |
明治10年12月22日 | 任陸軍少尉 |
明治30年10月11日 | 歩兵第10聯隊長 |
明治30年12月23日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治31年12月23日 | 第5師団参謀長 |
明治33年4月25日 | 第7師団参謀長 |
明治36年7月2日 | 陸軍少将・歩兵第24旅団長 |
明治38年1月23日 | 第3軍参謀長 |
明治38年2月7日 | 重傷 |
明治39年2月14日 | 歩兵第6旅団長 |
明治41年12月21日 | 台湾第1守備隊司令官 |
明治43年8月26日 | 陸軍中将・第10師団長 |
明治45年2月14日 | 補第8師団長(親補)[1][2] |
大正3年5月11日 | 待命 |
大正3年8月8日 | 予備役 |
大正6年10月23日 | 薨去 |
栄典
明治17年10月20日 | 叙正七位 |
明治18年4月7日 | 勲五等双光旭日章 |
明治21年7月23日 | 大南竜星勲章オフィシエ佩用允許 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治24年12月28日 | 叙従六位 |
明治26年5月26日 | 勲四等瑞宝章 |
明治28年7月15日 | 叙正六位 |
明治28年12月14日 | 勲三等旭日中綬章 |
明治31年3月30日 | 叙従五位 |
明治36年6月10日 | 叙正五位 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[3] |
明治41年7月10日 | 叙従四位 |
明治43年12月27日 | 叙正四位 |
明治44年5月2日 | タイ王国王冠第二等勲章佩用允許 |
大正3年1月20日 | 叙従三位 |
大正3年5月16日 | 勲一等瑞宝章 |
大正3年9月1日 | 叙正三位(特旨)[4] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第405号 明治17年11月1日(土曜日)
- 官報第535号 明治18年4月17日(金曜日)
- 官報第1520号 明治21年7月24日(火曜日)
- 官報第1947号 明治22年12月23日(月曜日)
- 官報第2551号 明治25年1月4日(月曜日)
- 官報第3613号 明治28年7月16日(火曜日)
- 官報第4421号 明治31年3月31日(木曜日)
- 官報第5981号 明治36年6月11日(木曜日)
- 官報第7512号 明治41年7月11日(土曜日)
- 官報第8257号 明治43年12月28日(水曜日)
- 官報第8371号 明治44年5月20日(土曜日)
- 官報第442号 大正3年1月21日(水曜日)
- ↑ 官報第8594号 明治45年2月15日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に1月14日とあるのは誤り。
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第627号 大正3年9月2日(水曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)