小泉親彦
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- こいずみ ちかひこ
- 小泉親彦
- 陸軍軍医中将正四位勲二等医学博士
- 衛生部
- 福井県
- 明治17年9月9日 - 昭和20年9月13日自決
経歴
明治17年9月9日 | 生 |
明治42年6月30日 | 任陸軍二等軍医(初任) |
明治44年12月12日 | 陸軍一等軍医 |
大正3年6月26日 | 陸軍軍医学校教官 |
大正7年6月1日 | 陸軍三等軍医正 |
大正7年時点 | 兼陸軍大学校教官 |
大正11年2月8日 | 陸軍二等軍医正 |
大正13年8月20日 | 陸軍一等軍医正 |
昭和5年3月6日 | 陸軍軍医監 |
昭和7年4月11日 | 近衛師団軍医部長兼陸軍軍医学校教官 (化学兵器研究室長) |
昭和8年8月1日 | 補陸軍軍医学校長[1] |
昭和9年3月5日 | 陸軍軍医総監・陸軍省医務局長 |
昭和12年2月15日 | 陸軍軍医中将(階級呼称変更) |
昭和12年11月20日 | 兼野戦衛生長官 |
昭和13年12月10日 | 待命 |
昭和13年12月28日 | 予備役被仰付 |
昭和16年7月18日 | 厚生大臣 |
昭和19年7月22日 | 依願免本官 貴族院議員 |
昭和20年9月13日 | 自決 |
栄典
昭和9年3月15日 | 叙従四位[2] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3597号 昭和13年12月29日(木曜日)