小野寺長治郎
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- おのでら ちょうじろう
- 小野寺長治郎
- 陸軍主計中将正四位勲一等
- 経理部
- 宮城県
- 明治8年3月24日 - 昭和14年2月7日
経歴
明治8年3月24日 | 生 |
明治38年 | 東京帝国大学法科大学法律学科卒業(陸軍委託学生) |
明治40年4月24日 | 任陸軍二等主計[1](初任) |
明治42年12月15日 | 任陸軍一等主計[1] |
大正5年5月2日 | 任陸軍三等主計正[1] |
大正11年8月15日 | 任陸軍二等主計正[1] |
大正13年12月15日 | 補陸軍省経理局課員兼陸軍経理学校教官 参謀本部御用掛ヲ命ス[2] |
大正14年5月1日 | 参謀本部御用掛ヲ免ス 補陸軍省経理局主計課長[3] |
大正14年8月7日 | 任陸軍一等主計正[4][5] |
昭和3年12月21日 | 陸軍被服本廠長 |
昭和4年12月10日 | 任陸軍主計監 |
昭和5年12月22日 | 陸軍経理学校長 |
昭和6年8月1日 | 補陸軍省経理局長兼陸軍経理学校長[6] |
昭和6年10月1日 | 免兼職 |
昭和8年12月20日 | 任陸軍主計総監[7][8] |
昭和9年8月1日 | 陸軍兵器本廠附被仰付[9] |
昭和9年8月2日 | 依願予備役被仰付[10] |
昭和12年1月12日 | 貴族院議員(勅選議員) |
昭和12年2月15日 | 陸軍主計中将(階級呼称変更) |
昭和13年4月1日 | 後備役[11] |
昭和14年2月7日 | 死去 |
栄典
昭和9年1月15日 | 叙従四位[12] |
昭和9年2月7日 | 勲二等瑞宝章[13] |
昭和9年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[14] |
昭和9年5月9日 | 満洲国勲一位景雲章佩用允許[15] |
昭和9年8月27日 | 叙正四位(特旨)[16] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正14年9月1日調
- ↑ 官報第3696号 大正13年12月16日(火曜日)
- ↑ 官報第3806号 大正14年5月2日(土曜日)
- ↑ 官報第3888号 大正14年8月8日(土曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に8月1日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第1378号 昭和6年8月3日(月曜日)
- ↑ 官報第2093号 昭和8年12月21日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に12月10日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第2276号 昭和9年8月2日(木曜日)
- ↑ 官報第2277号 昭和9年8月3日(金曜日)
- ↑ 官報第3431号 昭和13年6月13日(月曜日)
- ↑ 官報第2111号 昭和9年1月18日(木曜日)
- ↑ 官報第2129号 昭和9年2月8日(木曜日)
- ↑ 官報第2602号 昭和10年9月3日(火曜日)
- ↑ 官報第3119号 昭和12年5月29日(土曜日)
- ↑ 官報第2298号 昭和9年8月28日(火曜日)