山田保永
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- やまだ やすなが
- 山田保永
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 歩兵
- 草創期
- 和歌山県
- 嘉永3年8月8日 - 昭和7年12月6日
経歴
嘉永3年8月8日 | 生[1] |
明治5年3月10日 | 任陸軍少尉 |
明治7年4月20日 | 任陸軍中尉 |
明治25年7月1日 | 陸軍省軍務局第2軍事課長 |
明治25年11月22日 | 陸軍省副官 |
明治26年8月31日 | 休職 |
明治26年9月14日 | 歩兵第2聯隊長 |
明治27年9月12日 | 補陸軍省軍務局第2軍事課長[2] |
明治28年1月6日 | 陸軍歩兵大佐・第2軍高級副官 |
明治29年4月1日 | 臨時陸軍建築部事務官 |
明治32年3月13日 | 近衛歩兵第4聯隊長 |
明治33年3月29日 | 陸軍少将・歩兵第7旅団長 |
明治35年2月15日 | 補台湾守備混成第3旅団長[3][4] |
明治37年4月1日 | 歩兵第9旅団長 |
明治37年7月17日 | 休職 |
明治38年9月16日 | 樺太守備隊司令官 |
明治39年7月6日 | 任陸軍中将・予備役 |
明治41年4月1日 | 後備役[5] |
昭和7年12月6日 | 卒去[1] |
栄典
明治16年7月16日 | 叙従六位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治27年5月29日 | 勲三等瑞宝章 |
明治28年6月8日 | 叙従五位 |
明治28年9月20日 | 功四級金鵄勲章 授旭日中綬章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治33年6月11日 | 叙正五位 |
明治37年5月20日 | 勲二等瑞宝章[6] |
明治38年7月10日 | 叙従四位 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 授旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[7] |
明治39年10月20日 | 叙正四位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1938号 明治22年12月12日(木曜日)
- 太政官日誌 明治7年 第1−63号
- 山田保永 - Wikipedia
- ↑ 1.0 1.1 山田保永 - Wikipedia
- ↑ 官報第3364号 明治27年9月13日(木曜日)
- ↑ 官報第5583号 明治35年2月17日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に2月8日とあるのは誤り。
- ↑ 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第6265号 明治37年5月21日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)