山縣有朋

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  • やまがた ありとも
  • 山縣有朋
  • 陸軍大将元帥従一位大勲位功一級公爵
  • 山口県
  • 天保9年閏4月22日 - 大正11年2月1日

経歴

天保9年閏4月22日
明治3年8月28日 兵部少輔
明治4年7月14日 兵部大輔
明治5年2月28日 陸軍大輔
明治5年3月9日 陸軍中将
明治5年5月3日 近衛都督
明治5年7月20日 免兼
明治6年4月29日 陸軍卿代理
明治6年6月8日 陸軍卿
明治7年2月8日 近衛都督
明治7年2月12日 第6局
明治7年2月23日 佐賀征討参軍
明治7年2月27日 参謀局長(~明治9年3月31日)
明治7年4月24日 凱旋
明治7年6月30日 陸軍卿
明治7年8月2日 兼任参議
明治10年2月19日 西南役征討参軍
明治10年10月16日 凱旋
明治10年11月20日 兼任議定官
明治11年5月1日 近衛都督(~明治12年10月15日)
明治11年12月24日 参謀本部
明治15年2月27日 参事院議長
明治15年8月7日 参謀本部長御用取扱
明治15年9月7日
明治16年12月22日 参議内務卿
明治17年2月13日 参謀本部
明治18年12月22日 内務大臣(~明治21年12月3日)
明治19年7月10日 農商務大臣(~明治20年6月24日)
明治19年10月31日 臨時砲台建設部
明治20年5月31日 監軍(~明治21年12月3日)
明治21年11月29日 御用有之欧洲諸国巡迴被仰付[1]
明治22年10月3日 内務大臣
明治22年10月12日 帰国
明治22年12月24日 内閣総理大臣内務大臣
明治23年5月17日 免兼
明治23年6月7日 陸軍大将
明治25年8月8日 司法大臣
明治26年3月11日 枢密院議長
明治26年11月11日 議定官
明治27年8月31日 第1軍司令官
明治27年12月18日 監軍
明治28年3月7日 兼任陸軍大臣[2]
明治28年5月26日 免兼官[3]
明治29年2月22日 遣露特命全権大使
明治29年7月28日 帰国
明治29年7月31日 監軍(~明治30年1月21日)
明治31年1月20日 元帥
明治31年11月8日 内閣総理大臣
明治33年10月19日 依願免本官(内閣総理大臣)
明治36年7月13日 枢密顧問官
明治37年6月20日 参謀総長
明治38年12月21日 枢密院議長
明治42年6月14日 枢密顧問官
明治42年11月17日 枢密院議長
大正11年2月1日 薨去
従一位
国葬

栄典

明治3年8月28日 従五位
明治5年12月12日 従四位
明治6年11月15日 正四位
明治10年11月2日 勲一等旭日大綬章
明治17年7月7日 伯爵
明治17年12月27日 従三位
明治19年10月19日 従二位
明治28年8月5日 旭日桐花大綬章
功二級金鵄勲章
侯爵(陞爵)
明治28年12月20日 正二位
明治33年10月19日 元勲優遇の詔勅を賜る[4]
明治35年5月10日 明治三十三年従軍記章
明治35年6月3日 大勲位菊花大綬章
明治39年4月1日 功一級金鵄勲章
菊花章頸飾
明治三十七八年従軍記章[5]
明治40年9月21日 公爵(陞爵)
大正1年8月1日 韓国併合記念章
大正4年11月10日 大礼記念章[6]
大正5年4月1日 金杯一組
大正三四年従軍記章[7]
大正9年9月7日 金杯一組
(対独平和条約締結並ニ大正四年乃至九年戦役ノ功)[8]
大正11年2月1日 薨去
従一位
国葬

出典

  • 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)