岡崎生三
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- おかざき しょうぞう
- 岡崎生三
- 陸軍中将従三位勲一等功二級男爵
- 歩兵
- 草創期
- 高知県華族
- 嘉永4年1月3日 - 明治43年7月27日
経歴
嘉永4年1月3日 | 生 |
明治5年1月23日 | 任陸軍中尉(初任) |
明治27年8月20日 | 後備歩兵第1聯隊長 |
明治27年12月17日 | 留守第4師団参謀長 |
明治28年5月17日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治28年11月29日 | 威海衛占領軍参謀長被仰付[1] |
明治31年5月26日 | 参謀本部附 |
明治31年8月26日 | 第2師団参謀長 |
明治34年2月18日 | 任陸軍少将 補歩兵第15旅団長[2] |
明治39年2月5日 | 歩兵第20旅団長 |
明治39年7月6日 | 陸軍中将・第13師団長 |
明治43年6月1日 | 待命 |
明治43年7月27日 | 薨去[3] |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治29年5月5日 | 勲三等旭日中綬章 賜金750円 (明治二十七八年戦役の功)[4] |
明治32年7月4日 | 大清帝国三等第一双龍宝星佩用允許 |
明治34年3月11日 | 叙正五位[5] |
明治37年11月29日 | 勲二等瑞宝章[6] |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 授旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[7] |
明治40年9月21日 | 男爵 |
明治40年12月17日 | 大韓帝国勲一等太極章佩用允許[8] |
明治41年4月11日 | 大韓帝国韓国皇帝陛下即位礼式紀念章佩用允許[9] |
明治41年6月20日 | 叙正四位 |
明治41年11月27日 | 大韓帝国大勲位李花大綬章佩用允許[10] |
明治41年12月1日 | 勲一等旭日大綬章 |
明治42年4月18日 | 皇太子渡韓記念章[11] |
明治43年7月27日 | 叙従三位(特旨)[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1938号 明治22年12月12日(木曜日)
- 官報第4810号 明治32年7月14日(金曜日)
- ↑ 官報第3732号 明治28年12月5日(木曜日)
- ↑ 官報第5286号 明治34年2月19日(火曜日)
- ↑ 官報第8133号 明治43年8月1日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治29年5月14日(木曜日)
- ↑ 官報第5304号 明治34年3月12日(火曜日)
- ↑ 官報第6426号 明治37年11月30日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第7346号 明治40年12月21日(土曜日)
- ↑ 官報第7448号 明治41年4月28日(火曜日)
- ↑ 官報第7634号 明治41年12月5日(土曜日)
- ↑ 官報第7771号 明治42年5月24日(月曜日)
- ↑ 官報第8131号 明治43年7月29日(金曜日)