岩倉具定
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- いわくら ともさだ
- 岩倉具定
- 議定官宮内大臣従一位勲一等公爵
- 京都府
- 嘉永4年12月27日 - 明治43年4月1日
経歴
- 贈太政大臣岩倉具視の二男
- 義兄に公爵岩倉具綱
- 妻久子は子爵澤爲量の四女
- 長男に陸軍少尉公爵岩倉具張
- 長女周子は元帥海軍大将東伏見宮依仁親王妃
- 次女豊子は陸軍大佐侯爵西郷從德に、四女花子は式部長官男爵武井守成に、五女季子は式部官男爵島津忠弘に嫁す
嘉永4年12月27日 | 生 |
参事院議官補 | |
明治19年2月5日 | 任大膳大夫[1] |
明治21年5月31日 | 帝室制度取調委員被仰付[2] |
明治21年10月16日 | 兼任主猟官[3] |
明治21年10月30日 | 任爵位局長官 (兼主猟官如故)[4] |
明治22年1月25日 | 帝室制度取調委員被免[5] |
明治22年7月23日 | 任爵位局長兼主猟官 叙勅任官一等賜四級俸[6] |
明治23年10月4日 | 兼任侍従職幹事 (兼主猟官如故)[7] |
明治23年11月29日 | 貴族院議員(公爵議員、~明治43年4月1日) |
明治24年2月26日 | 依願免兼主猟官[8] |
明治25年3月26日 | 兼任学習院長 叙二等 (兼侍従職幹事如故)[9] |
明治25年10月20日 | 依願免兼学習院長[10] |
明治33年2月13日 | 兼任枢密顧問官[11] |
明治38年4月1日 | 補議定官[12] |
明治41年1月9日 | 韓国皇太子殿下御用掛被仰付[13] |
明治42年6月16日 | 任宮内大臣[14] 韓国皇太子殿下御用掛被免[15] |
明治43年4月1日 | 薨去 |
栄典
位階勲等
明治15年3月11日 | 勲四等旭日小綬章 |
明治17年7月8日 | 特授公爵 (依贈太政大臣具視偉勲)[16] |
明治19年5月29日 | 勲三等旭日中綬章[17] |
明治20年12月26日 | 叙正四位(特旨)[18] |
明治21年11月9日 | 叙従三位[19] |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章[20] |
明治25年7月5日 | 叙正三位[21] |
明治26年6月29日 | 勲二等瑞宝章[22] |
明治29年6月20日 | 叙従二位[23] |
明治30年6月30日 | 勲一等瑞宝章[24] |
明治33年6月20日 | 叙正二位[25] |
明治39年4月1日 | 賜金4000円 (明治三十七八年事件の功)[26] 明治三十七八年従軍記章[27] |
明治42年4月18日 | 皇太子渡韓記念章[28] |
明治43年4月1日 | 薨去 叙従一位(特旨) 授旭日桐花大綬章[29] |
明治43年4月2日 | 貴族院より弔辞 |
明治43年4月13日 | 相続人岩倉具張、襲爵[30] |
外国勲章
明治20年10月5日 | ドイツ国赤鷲第二等勲章佩用允許[31] |
明治33年9月17日 | イタリア王国王冠第一等勲章佩用允許 オーストリア=ハンガリー帝国鉄冠第一等勲章佩用允許 フランス共和国レジオンドヌール勲章グラントフィシエ佩用允許 ベルギー王国レオポルド2世勲章グランオフィシエ佩用允許 大清帝国頭等第三双龍宝星佩用允許[32] |
明治33年9月25日 | ロシア帝国聖アンナ第一等勲章佩用允許 タイ王国王冠第一等勲章佩用允許[32] |
明治33年9月29日 | トルコ国メジディエ第一等勲章佩用允許[32] |
明治37年11月29日 | 大韓帝国勲一等太極大綬章佩用允許[33] |
明治40年11月29日 | 大韓帝国李花大綬章佩用允許[34] |
出典
- ↑ 1.0 1.1 官報第777号 明治19年2月6日(土曜日)
- ↑ 2.0 2.1 官報第1475号 明治21年6月1日(金曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第1592号 明治21年10月18日(木曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第1603号 明治21年10月31日(水曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第1671号 明治22年1月26日(土曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第1821号 明治22年7月25日(木曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第2182号 明治23年10月6日(月曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第2297号 明治24年2月28日(土曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第2620号 明治25年3月28日(月曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第2796号 明治25年10月21日(金曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第4983号 明治33年2月14日(水曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第6524号 明治38年4月4日(火曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第7359号 明治41年1月10日(金曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報号外 明治42年6月16日(水曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第7795号 明治42年6月21日(月曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第308号 明治17年7月9日(水曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第872号 明治19年5月31日(月曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第1351号 明治20年12月28日(水曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第1611号 明治21年11月20日(土曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第1928号 明治22年11月30日(土曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第2707号 明治25年7月7日(木曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第3000号 明治26年6月30日(金曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第3893号 明治29年6月22日(月曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第4198号 明治30年7月1日(木曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第5089号 明治33年6月21日(木曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第7125号 明治40年4月4日(木曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第7578号 明治41年9月28日(月曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第7771号 明治42年5月24日(月曜日)
- ↑ 29.0 29.1 官報第8030号 明治43年4月1日(土曜日)
- ↑ 30.0 30.1 官報第8040号 明治43年4月14日(木曜日)
- ↑ 31.0 31.1 官報第1284号 明治20年10月7日(金曜日)
- ↑ 32.0 32.1 32.2 32.3 官報第5207号 明治33年11月8日(木曜日)
- ↑ 33.0 33.1 官報第6433号 明治37年12月8日(木曜日)
- ↑ 34.0 34.1 官報第7333号 明治40年12月6日(金曜日)