德大寺實則
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- とくだいじ さねつね
- 德大寺實則
- 従一位大勲位公爵
- 京都府
- 天保10年12月6日 - 大正8年6月4日
経歴
天保10年12月6日 | 生 |
明治4年7月14日 | 麝香間祗候 |
明治4年8月4日 | 侍従長 |
明治4年9月15日 | 兼宮内卿 |
明治10年8月29日 | 一等侍補兼宮内卿 |
明治11年6月7日 | 宮内卿 |
明治17年3月21日 | 侍従長 |
明治17年7月7日 | 侯爵 |
明治18年7月8日 | 兼華族局長官 |
明治21年5月28日 | 兼任爵位局長官[1](華族局を改称) |
明治21年10月30日 | 免兼官 |
明治24年2月21日 | 兼内大臣 |
大正1年8月13日 | 依願免本官並兼官(侍従長兼内大臣) 特ニ大臣ノ礼遇ヲ賜フ |
大正8年6月4日 | 薨去 |
栄典
慶応3年2月28日 | 正二位 |
明治10年11月22日 | 勲一等旭日大綬章 |
明治17年7月7日 | 授侯爵[2] |
明治21年4月9日 | 銀製黄綬褒章 |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章[3] |
明治24年6月1日 | トルコ国メジディエ第一等勲章[4] |
明治25年4月11日 | ロシア帝国白鷲大綬章[5] |
明治28年10月7日 | 勲一等旭日桐花大綬章 |
明治35年3月15日 | 大清帝国頭等第三双龍宝星[6] |
明治38年10月24日 | ドイツ国赤鷲大綬章[7] |
明治39年4月1日 | 大勲位菊花大綬章[8] 明治三十七八年従軍記章[9] |
明治41年10月19日 | 大清帝国頭等第二双龍宝星佩用允許[10] |
明治42年4月18日 | 皇太子渡韓記念章 |
明治44年4月21日 | 叙従一位 公爵(陞爵) |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[11] |
大正3年6月18日 | 金杯一箇ヲ賜フ (第一回帝国議会以来議員ノ職ニ在リ其功尠カラス)[12] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[13] |
大正8年6月4日 | 薨去 大勲位菊花章頸飾 |
出典
- ↑ 官報第1472号 明治21年5月29日(火曜日)
- ↑ 官報第307号 明治17年7月8日(火曜日)
- ↑ 官報第1928号 明治22年11月30日(土曜日)
- ↑ 官報第2378号 明治24年6月5日(金曜日)
- ↑ 官報第2635号 明治25年4月14日(木曜日)
- ↑ 官報第5611号 明治35年3月22日(土曜日)
- ↑ 官報第6700号 明治38年10月27日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ 官報第7578号 明治41年9月28日(月曜日)
- ↑ 官報第7600号 明治41年10月24日(土曜日)
- ↑ 官報第205号 大正2年4月9日(水曜日)
- ↑ 官報第565号 大正3年6月19日(金曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)