木田伊之助
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- きだ いのすけ
- 木田伊之助
- 陸軍少将従四位勲三等功四級
- 砲兵
- 士官生徒11 陸大14
- 宮城県
- 慶応3年 - 昭和8年1月12日
経歴
慶応3年 | 生[1] |
明治22年7月26日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治30年12月28日 | 陸軍大学校入学 |
明治33年12月20日 | 陸軍大学校卒業(第14期) |
明治42年1月14日 | 第12師団参謀長 |
明治43年7月22日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治45年1月27日 | 野砲兵第24聯隊長 |
大正2年8月22日 | 野砲兵第18聯隊長 |
大正4年8月10日 | 任陸軍少将[2]・対馬警備隊司令官 |
大正6年8月6日 | 舞鶴要塞司令官 |
大正7年7月24日 | 待命 |
大正8年1月15日 | 予備役[2] |
大正15年4月1日 | 後備役[2] |
帝国大学経済学部聴講生 | |
関東国粋会総裁[1] | |
昭和8年1月12日 | 卒去[1] |
栄典
功五級金鵄勲章 | |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[3] |
明治42年5月25日 | 大清帝国二等第二双龍宝星佩用允許 |
明治43年5月21日 | 叙従五位[4] |
勲三等瑞宝章 ロシア帝国聖アンナ第二等勲章[2] | |
大正8年2月14日 | 叙従四位(特旨)[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第7775号 明治42年5月28日(金曜日)
- 官報. 1912年01月29日
- 官報第1872号 昭和8年3月30日(木曜日)