李鍝公
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- り ぐうこう
- 李鍝公
- 陸軍大佐大勲位
- 砲兵
- 士候45
- 朝鮮
- 大正1年11月15日 - 昭和20年8月7日戦死
経歴
大正1年11月15日 | 誕生 |
昭和8年7月11日 | 陸軍士官学校卒業(士候45) |
昭和8年10月20日 | 任陸軍砲兵少尉 |
昭和13年12月27日 | 陸軍大学校入学 |
昭和16年7月31日 | 陸軍大学校卒業(第54期) |
昭和17年3月2日 | 陸軍大学校研究部部員 |
昭和19年3月1日 | 補第1軍参謀(作戦) |
昭和20年6月10日 | 任陸軍中佐 補第2総軍参謀 |
昭和20年8月7日 | 広島原爆で戦死・任陸軍大佐 |
栄典
昭和3年11月10日 | 大礼記念章 |
昭和8年10月20日 | 勲一等旭日桐花大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[1] |
昭和18年11月7日 | 大勲位菊花大綬章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第38号 昭和19年3月1日 陸軍異動通報 (防衛省防衛研究所)」Ref.C12120903800
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、将校進級内報(1)」Ref.C12120945300
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第135号 昭和20年6月11日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120945600
- 官報第849号 昭和4年10月28日(月曜日)