村松雋
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- むらまつ しゅん
- 村松 雋
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 砲兵
- 士官生徒7
- 東京府士族
- 元治1年6月17日 - 昭和7年5月10日
経歴
- 東京府士族村松升の長男
元治1年6月17日 | 生[1] |
明治18年6月18日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治34年12月10日 | 任陸軍砲兵中佐 |
明治38年1月15日 | 任陸軍砲兵大佐・旅順要塞砲兵隊長 |
東京砲兵工廠附 | |
明治40年11月13日 | 函館要塞司令官 |
明治44年11月22日 | 任陸軍少将 予備被仰付[2] |
大正9年4月1日 | 後備役 |
昭和2年4月1日 | 退役 |
昭和7年5月10日 | 死去 |
栄典
功五級金鵄勲章 | |
明治38年2月18日 | 叙従五位[3] |
明治44年12月20日 | 叙従四位(特旨) |
明治45年時点 | 勲三等旭日中綬章 勲四等瑞宝章 大清帝国第二等第二双龍宝星[2] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- 官報第8552号 明治44年12月21日(木曜日)
- 官報第105号 昭和2年5月9日(月曜日)
- 官報第1627号 昭和7年6月4日(土曜日)