松平忠禎
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- まつだいら ただよし
- 松平忠禎
- 陸軍少尉正四位勲四等子爵
- 歩兵
- 一年志願兵
- 群馬県華族
- 明治2年5月16日 - 大正15年4月3日
経歴
明治2年5月16日 | 生 |
明治24年 | 松平忠恕養子となる |
明治25年7月 | 学習院中等学科卒業 |
明治25年12月1日 | 一年志願兵 |
明治26年12月1日 | 予備役[1] |
明治27年10月23日 | 任陸軍歩兵少尉[1] |
臨時陸軍検疫部事務官 | |
明治28年8月26日 | 近衛歩兵第4聯隊補充大隊附被仰付[2] |
明治33年4月1日 | 後備役[1] |
学習院学生監副官 | |
明治37年8月5日 | 貴族院議員(子爵議員)[3] |
明治37年10月5日 | 依願免本官(学習院学生監副官)[4] |
明治41年7月21日 | 株式会社関東商業銀行監査役[5] |
明治42年4月25日 | 株式会社関東商業銀行監査役退任[6] |
明治43年4月1日 | 退役[7] |
明治43年11月25日 | 株式会社東京勧業貯蓄銀行監査役[8] |
明治44年7月9日 | 貴族院議員退職 |
大正2年6月23日 | 東京勧業貯蓄銀行株式会社監査役辞任[9] |
大正3年1月31日 | 株式会社東京実業銀行取締役[10] |
大正3年9月17日 | 明治興業株式会社取締役辞任[11] |
大正4年6月25日 | 株式会社東京実業銀行取締役辞任[12] |
大正15年4月3日 | 死去 |
栄典
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[13] |
明治29年3月3日 | 勲六等瑞宝章 賜金100円 (明治二十七八年戦役の功)[14] |
明治33年6月20日 | 叙正五位[15] |
明治35年5月 | 家督相続 |
明治39年4月1日 | 勲五等双光旭日章 賜金350円 明治三十七八年従軍記章[16] 勲四等旭日小綬章 (明治三十七八年事件の功)[17][18] |
大正2年7月10日 | 叙正四位[19] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[20] |
大正5年6月6日 | 華族ノ礼遇停止(華族令第七条第二号)[21] |
大正5年11月15日 | 隠居届出[22] |
大正5年12月22日 | 家督相続人松平忠相に襲爵被仰付[23] |
大正7年5月1日 | 願ノ通位記返上ヲ允許ス |
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治35年7月1日調査
- ↑ 2.0 2.1 官報第3655号 明治28年9月3日(火曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第6332号 明治37年8月8日(月曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第6382号 明治37年10月6日(木曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第7541号 明治41年8月14日(金曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第7765号 明治42年5月17日(月曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第8035号 明治43年4月8日(金曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第8238号 明治43年12月6日(火曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第284号 大正2年7月10日(木曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第487号 大正3年3月16日(月曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第647号 大正3年9月26日(土曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第879号 大正4年7月7日(水曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第4257号 明治30年9月8日(水曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第3805号 明治29年3月9日(月曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第5089号 明治33年6月21日(木曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第7272号 明治40年9月23日(月曜日)
- ↑ 18.0 18.1 勲五等双光旭日章及び明治三十七八年従軍記章は陸軍歩兵少尉として、勲四等旭日小綬章は貴族院議員として受章。
- ↑ 19.0 19.1 官報第285号 大正2年7月11日(金曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第1335号 大正6年1月17日(水曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第1171号 大正5年6月27日(火曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第1313号 大正5年12月16日(土曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第1319号 大正5年12月23日(土曜日)
- ↑ 官報第1722号 大正7年5月2日(木曜日)