松石安治
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- まついし やすはる
- 松石安治
- 陸軍中将従四位勲二等功三級
- 歩兵
- 士官生徒6 陸大6優等
- 福岡県
- 安政6年5月21日 - 大正4年5月25日
経歴
安政6年5月21日 | 生 |
明治16年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治20年4月27日 | 任陸軍歩兵中尉 |
明治20年11月30日 | 陸軍大学校ヘ入学ヲ命ス |
明治23年12月23日 | 陸軍大学校卒業(第6期優等) |
歩兵第3聯隊附 | |
明治24年12月1日 | 参謀本部出仕被仰付[1] |
明治26年11月29日 | 任陸軍歩兵大尉[2] |
混成枝隊参謀 | |
明治28年8月8日 | 台湾総督府参謀被仰付[3] |
明治28年11月29日 | 任陸軍歩兵少佐[4] |
明治29年4月1日 | 補台湾総督府軍務局陸軍部課員 参謀官ト心得ヘシ[5] |
明治29年6月18日 | 補陸軍大学校兵学教官[6] |
明治33年2月28日 | 軍事研究トシテ独逸国駐在被仰付[7] |
明治34年4月1日 | 任陸軍歩兵中佐[8] |
明治36年5月27日 | 独国駐在被免 補陸軍大学校兵学教官[9] |
明治36年11月18日 | 任陸軍歩兵大佐[10] |
明治37年2月4日 | 第1軍参謀副長 |
明治37年9月11日 | 大本営参謀 |
明治39年1月11日 | 兼補陸軍大学校幹事[11] |
明治39年4月19日 | 補参謀本部第2部長[12] |
明治40年1月17日 | 貞愛親王殿下英国差遣随行[13] |
明治40年11月13日 | 任陸軍少将[14] |
明治41年12月21日 | 補参謀本部第1部長[15][16] |
明治43年12月15日 | 御用有之清国ヘ差遣[17] |
明治44年10月24日 | 待命被仰付[18] |
大正3年5月11日 | 任陸軍中将 依願予備役被仰付[19] |
大正4年5月25日 | 卒去[20] |
栄典
明治17年2月9日 | 叙正八位[21] |
明治22年7月15日 | 叙従七位[22] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[23] |
明治26年12月27日 | 叙正七位[24] |
明治28年11月18日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章 (明治二十七八年戦役の功)[25] |
明治29年5月15日 | 叙従六位[26] |
明治30年4月1日 | 賜金300円 (明治二十七八年戦役ニ続キ再ヒ台湾地方ニ於テ軍務ニ服シ其功不少ニ付)[27] |
明治34年7月10日 | 叙正六位[28] |
明治34年11月30日 | 勲五等瑞宝章[29] |
明治37年2月19日 | 叙従五位[30] |
明治37年11月9日 | 大韓帝国勲二等八卦章佩用允許[31] |
明治38年5月30日 | 勲四等瑞宝章[32] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[33] |
明治40年10月23日 | フランス共和国四等レジオンドヌール勲章佩用允許 大英帝国三等ヴィクトリア勲章佩用允許 オーストリア=ハンガリー帝国二等鉄冠勲章佩用允許 ルーマニア王国三等剣附ルーマニア星勲章佩用允許[34] |
明治40年11月29日 | トルコ帝国オスマニエ第二等勲章佩用允許[35] |
明治40年12月27日 | 叙正五位[36] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[37] |
大正3年6月10日 | 叙従四位[38] |
大正4年5月25日 | 卒去[20] 勲二等瑞宝章[39] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 官報第2528号 明治24年12月2日(水曜日)
- ↑ 2.0 2.1 官報第3128号 明治26年12月1日(金曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第3654号 明治28年9月2日(月曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第3768号 明治29年1月23日(木曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第3835号 明治29年5月15日(水曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第3895号 明治29年6月24日(水曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第4996号 明治33年3月1日(木曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第5321号 明治34年4月2日(火曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第5969号 明治36年5月28日(木曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第6116号 明治36年11月19日(木曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第6758号 明治39年1月12日(金曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第6839号 明治39年4月20日(金曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第7064号 明治40年1月18日(金曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第7315号 明治40年11月14日(木曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第7648号 明治41年12月22日(火曜日)
- ↑ 16.0 16.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に”42・12・1”とあるのは誤り。
- ↑ 17.0 17.1 官報第8247号 明治43年12月16日(金曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第8505号 明治44年10月25日(水曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第534号 大正3年5月12日(火曜日)
- ↑ 20.0 20.1 20.2 官報第846号 大正4年5月29日(土曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第204号 明治17年3月7日(金曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第1820号 明治22年7月24日(水曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報号外 明治22年12月29日(日曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第3151号 明治26年12月28日(木曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第3727号 明治28年11月29日(金曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第3862号 明治29年5月16日(土曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第4149号 明治30年5月5日(水曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第5406号 明治34年7月11日(木曜日)
- ↑ 29.0 29.1 官報第5525号 明治34年12月2日(月曜日)
- ↑ 30.0 30.1 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 31.0 31.1 官報第6420号 明治37年11月22日(火曜日)
- ↑ 32.0 32.1 官報第6627号 明治38年8月2日(水曜日)
- ↑ 33.0 33.1 官報号外 明治39年12月8日(土曜日)
- ↑ 34.0 34.1 官報第7299号 明治40年10月26日(土曜日)
- ↑ 35.0 35.1 官報第7333号 明治40年12月6日(金曜日)
- ↑ 36.0 36.1 官報第7352号 明治40年12月28日(土曜日)
- ↑ 37.0 37.1 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 38.0 38.1 官報第558号 大正3年6月11日(木曜日)
- ↑ 39.0 39.1 官報第843号 大正4年5月26日(水曜日)