比志島義輝
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- ひしじま よしてる
- 比志島義輝
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 歩兵
- 草創期
- 鹿児島県士族
- 弘化4年9月3日 - 昭和2年3月14日
経歴
弘化4年9月3日 | 生[1][2] |
明治3年7月 | 任陸軍少尉[3][4] |
明治5年 | 陸軍中尉 |
明治5年 | 陸軍大尉[1] |
明治10年 | 陸軍少佐[1] |
明治16年10月24日 | 任陸軍歩兵中佐 |
明治18年7月24日 | 参謀本部第1局第1課長 |
明治19年5月27日 | 歩兵第19聯隊長 |
明治20年11月16日 | 任陸軍歩兵大佐 |
明治22年9月11日 | 歩兵第1聯隊長 |
明治25年9月8日 | 補第4師団参謀長[5] |
明治25年11月22日 | 休職 |
明治28年1月27日 | 後備歩兵第1聯隊長 |
明治28年1月31日 | 台湾混成支隊司令官 |
明治28年8月8日 | 任陸軍少将・台湾兵站監 |
明治29年3月11日 | 台湾守備混成第3旅団長 |
明治31年4月13日 | 歩兵第15旅団長 |
明治34年2月18日 | 予備被仰付[6][7] |
明治37年4月19日 | 後備歩兵第9旅団長 |
明治39年2月17日 | 後備役 |
明治39年2月27日 | 陸軍中将・召集解除 |
明治43年4月1日 | 退役 |
昭和2年3月14日 | 卒去 |
栄典
明治7年3月30日 | 叙正七位[8] |
明治16年12月8日 | 叙正六位[9] |
明治18年11月19日 | 勲三等旭日中綬章[10] |
明治23年1月17日 | 叙従五位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治28年12月4日 | 叙功四級授金鵄勲章[11] |
明治29年2月29日 | 叙正五位 |
明治29年11月25日 | 叙勲二等授瑞宝章[12] |
明治34年3月20日 | 叙従四位 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 授旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[13] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[14] |
昭和2年3月14日 | 叙正四位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治27年7月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治31年7月1日調
- ↑ 1.0 1.1 1.2 日本現今人名辞典 訂正3版
- ↑ 人事興信録第4版では「弘化元年九月三日 (1844)」だが、人事興信録 3版では弘化4年9月3日。明治17年・明治27年・明治31年各停年名簿での年齢を計算すると弘化4年9月、日本現今人名辞典で弘化4年9月。
- ↑ 比志島義輝 (第4版) - 『人事興信録』データベース
- ↑ 『日本現今人名辞典 訂正3版』では”明治4年”
- ↑ 官報第2763号 明治25年9月10日(土曜日)
- ↑ 官報第5286号 明治34年2月19日(火曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に11月18日とあるのは2月18日の誤り。
- ↑ 太政官日誌 明治7年 第1−63号
- ↑ 官報第176号 明治17年2月2日(土曜日)
- ↑ 官報第718号 明治18年11月20日(金曜日)
- ↑ 官報第3732号 明治28年12月5日(木曜日)
- ↑ 官報第4027号 明治29年11月30日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)