江口昌條
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- えぐち まさえだ
- 江口昌條
- 陸軍少将従四位勲三等功三級
- 歩兵
- 高知県
- 嘉永6年11月 - 昭和2年12月3日
経歴
嘉永6年11月 | 生 |
明治11年8月28日 | 任陸軍少尉 |
明治14年4月22日 | 任陸軍歩兵中尉 |
明治18年8月20日 | 任陸軍歩兵大尉 |
明治25年12月20日 | 任陸軍歩兵少佐 |
明治33年11月21日 | 任陸軍歩兵中佐 補台湾守備歩兵第5大隊長[1] |
明治36年1月13日 | 歩兵第23聯隊長[2] |
明治36年11月18日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治37年8月30日 | 戦傷 |
明治39年2月19日 | 補歩兵第19聯隊長[3] |
明治40年11月13日 | 任陸軍少将 補歩兵第24旅団長[4] |
明治41年12月21日 | 予備被仰付[5] |
明治44年4月1日 | 後備役[6] |
大正5年4月1日 | 退役[7] |
昭和2年12月3日 | 卒去[8] |
栄典
明治18年10月26日 | 叙正七位[9] |
明治19年5月29日 | 叙勲五等賜双光旭日章[10] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[11] |
勲四等瑞宝章 | |
明治29年3月30日 | 授旭日小綬章 賜金135円[12] |
明治34年10月1日 | 叙功四級授金鵄勲章(年金500円)[13] |
明治34年11月30日 | 叙勲三等授瑞宝章[14] |
明治35年3月25日 | フランス共和国大南竜星勲章コマンドゥール佩用允許[15] |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[16] |
明治35年5月17日 | ロシア帝国聖スタニスラス第二等勲章佩用允許[17] |
明治36年10月10日 | 叙従五位[18] |
明治40年12月27日 | 叙正五位[19] |
明治39年4月1日 | 叙功三級授金鵄勲章 授旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[20] |
明治42年3月10日 | 叙従四位(特旨)[21] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 官報第5219号 明治33年11月22日(木曜日)
- ↑ 官報第5857号 明治36年1月14日(水曜日)
- ↑ 官報第6790号 明治39年2月20日(火曜日)
- ↑ 官報第7315号 明治40年11月14日(木曜日)
- ↑ 官報第7648号 明治41年12月22日(火曜日)
- ↑ 官報第8348号 明治44年4月24日(月曜日)
- ↑ 官報第1127号 大正5年5月6日(土曜日)
- ↑ 官報第309号 昭和3年1月12日(木曜日)
- ↑ 官報第723号 明治18年11月27日(金曜日)
- ↑ 官報第876号 明治19年6月4日(金曜日)
- ↑ 官報第1947号 明治22年12月23日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治29年4月16日(木曜日)
- ↑ 官報第5487号 明治34年10月15日(火曜日)
- ↑ 官報第5525号 明治34年12月2日(月曜日)
- ↑ 官報第5616号 明治35年3月28日(金曜日)
- ↑ 官報第5874号 明治36年2月4日(水曜日)
- ↑ 官報第5668号 明治35年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第6085号 明治36年10月12日(月曜日)
- ↑ 官報第7352号 明治40年12月28日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第7709号 明治42年3月11日(木曜日)